チベット問題の最近のブログ記事

真っ先に愚痴をこぼしたい問題といえばチベット騒乱なのですが・・・。

やっぱりという気持ちもありますが、こんなに早く起きるとは少し予想してませんでした。おそらくオリンピック中か直後辺りを予想していたのですが、中国の変化は予想以上に早く大きいのだと思いました。

 

チベット人が騒乱を起こしたことや、中国政府が鎮圧したことに愚痴をこぼしたいのではありません。

この騒乱の原因がけっして人事だとは思えないのです。

 

今回の騒乱では当初チベット独立問題がクローズアップされていましたが、徐々に独立問題だけでなく経済や文化の問題のほうにも注目が集まるようになってきました。

 

日本のように同じ民族同士の国ならば、地方の文化が破壊されても『先行地域に習い近代化した』とか経済が侵食されても『雇用の創出と開発に協力してくれた』と言い、結果、生業を失っても『時代の流れ』と諦めてしまう人々が多いのだと思うのですが。

北海道にはアイヌの人々がいますが、大半が日本人で同じ日本語を話す人々しか回りにいないなかで、国家、民族、文化、経済の考えにルーズになってきているように感じます。

 

実はチベットで起きていることは程度の差やスピードの差こそあれ、日本の地方でも同じ事が起きているのです。

 

もし、ここを読んでいる貴方が、中央の人なら、地方とは別の民族だと考えてみてください。

地方の人なら、同じように中央の人とは別の民族だと思ってみてください。

次に書くことを民族の違いを前提によく考えて欲しいのです。

仮に国名をヤマト、地方の人をイナカニア人、中央の人をセントニア人としましょう。

 

世界はグローバル化しています。経済はスピードと大量輸送の時代です。新幹線を作りましょう!!

イナカニア人が言い出したのか、セントニア人が言い出したのかわかりませんが、多くの人が経済がよくなると信じました。

イナカニアの都市の駅前は地価が上がりました。

資本力の小さいイナカニア人は新幹線ができてもすぐには大きなホテルを作る事ができません。

やっと融資を受けてホテルを建てても、セントニア人のチェーン店のホテルには建設時からコストも規模も違います。ヤマト国一律の法律とそれによる規制ですから、同じ設計のホテルを何軒も建てている大手のほうが建設コストが低いのです。建設コストだけではありません、他の什器備品のコストも違います。営業のために必要な法律や規制の知識も、セントニアの大企業にはかないません。ホテルだけではありません、カラオケボックスもゲームセンターもコンビニも全国一律の数多くの規制だけで大手のほうが有利になるのです。この規制はこの国の国会で決められますが、国会議員はイナカニア人選出もいますがセントニアに住み、セントニア人から資金提供を受けている人が増えています。新幹線を自分を選出したイナカニア地方に強力に引張った人の中には、総理大臣までなったイナカニア人の政治家もいましたが、セントニアの商人から資金提供を受けていて失脚しました。セントニア人、イナカニア人問わず全国一律の教育によって全国同じ法律、規制のほうがイイと信じ込まされています。

また価格競争でも薄利多売のできるセントニアのホテルにはかないません。

いま、イナカニアの新幹線駅のある駅前は全てセントニアの資本による企業の看板が林立して同じ景色が広がっています。

 

物流のスピードを上げコストを下げるため。高速道路とバイパスを建設しましょう!!

全国津々浦々に高速交通網が整備されました。

イナカニア人は農産物をセントニアに売り込めると歓びました。でも、全国からセントニアの下に集まってくるので、セントニア人の需要を越えた量も集まります。この国は縦に長いといっても、農産物はある程度同じ時期に取れます。価格は労働の価値に見合うものにならないときが増えました。一方で、イナカニアには常時、他の地方や海外で取れた物が流通し、価格を引き下げています。

道路交通網はセントニアが基点になっているので、運送もセントニア人の経営する大手やセントニアに拠点がある方が有利です。全国の道路交通網が整備されるほど、セントニアにある大手のほうが有利なのです。

そして、大量に商品を扱うセントニア人のコンビニエンスなる店がやってきました。

商品はイナカニア地方の工場から別のイナカニア地方の消費地へと流れるだけですが、セントニア人はセントニアにある本社ビルでコンピューターで販売管理をするだけでお金が儲かります。

イナカニアの地域の小さな商店は閉店するか、傘下に入るかを余儀なくされました。

バイパスで市内を通過せずに高速移動する事が可能になりました。

バイパスには大量に素早くやってきた商品を取り扱うセントニア人経営の店舗が林立しています。

市街の商店街はシャッター通りになりました。

 

あるセントニア人がイナカニア人に言いました。

野山を切り開き、セントニア人が好むリゾートを作りましょう。

イナカニア人はそれまで冬場にセントニアへ出稼ぎに行かなければならなかったのが、行かずに済むようになると考えました。

全国で野山は切り開かれてセントニア資本のリゾートが建設されました。

イナカニア人は願い通り出稼ぎに行かなくても済むようになり、家族揃っての正月を迎える事ができるようになりました。

でも、利益は全てセントニア人に、イナカニア人は労働者でしかありません。

昔からあったイナカニア人経営の小さなスキー場やゴルフ場はなくなりました。

やがて、セントニア人は別のことに気がとられるようになりました。

イナカニアのリゾートへは来なくなってきました。

セントニア人は利益の上がらなくなったリゾートを手放したいと思うようになってきました。

まるで、厄介者のように経営権をセントニア人同士でたらい回しにして、それでも、だめならイナカニア地方自治政府に「金をだせ、でなければ閉鎖だ」とせまります。

もともと、セントニア人がたくさんやってきて滞在することを目的に作られた施設です。

イナカニア人のために使おうとしても、コストや目的が合いません。

イナカニア地方自治政府も結局、お金を出すか、閉鎖するか判断を迫られます。

閉鎖すれば、多くの人が職を失います。

お金を出しても、地方自治政府は経営に関して劣等感を植え込まれているので、だれもやろうとはしません。まして、同じイナカニア人へやらせようとも考えません。

なぜなら、先にイナカニア人経営のリゾートが淘汰され潰れているから、任せることに不安があったり、批判されることを恐れてのことです。

 

あるセントニア人が言いました。

「観光客を誘致しましょう。そのためには立派で大きくて衛生的で近代的で面白い施設が必要です。私達セントニア人がセントニア人の好みに会う施設を考えてあげましょう。」

イナカニア地方自治政府はこの申し出をもっともだと思いました。全国一律の教育は地方が立ち遅れているという認識を植え込んでいますから、そう思うのは無理のないことです。

 

セントニア人は、美術館を提案しました。

イナカニア地方の文化意識を高めましょう。

好景気で美術品が高い中でもイナカニア地方自治体は文化事業としてこれを買い漁りました。

文化的価値があるからこそ値段が張るんだと思い込まされていました。

美術品の選定、購入は全てセントニア人の経営するお店です。

文化意識が遅れているから、美術館を建てる。だから、当然文化意識の進んでいるセントニアに頼んで立派な美術館を建てるべきだと、イナカニアの行政官や議員たちは、そう思い込まされました。

イナカニア人とは縁も縁もない芸術家の作品が立派な建物に鎮座しました。

道祖神や小さな社が荒れているというのに、セントニア人の文化やセントニア人が選ぶ文化を賞賛することが文化的だとされたのです。

建物もそれらしく見えるようにセントニア人にお金を払って考えてもらいました。

あるいは名前までお金を払ってセントニア人に決めてもらいました。

今、セントニア人たちはこれを見て、イナカニア人がものすごい無駄遣いをしたと怒っています。

 

イナカニア人は突然のお金の使い道を考えました。

ちょうど、セントニアにある中央政府は地方政府に使途を限らない1億円のお金をプレゼントしたのです。もちろん、イナカニア選出の議員たちも関わり、とても喜びました。

ある意味でイナカニアではじめて、セントニアで決められたことではなく、自分たちで使途を自由に決められると思ったからです。

しかし、突然のプレゼントに、イナカニア人は戸惑いました。そして、古い温泉湯治場より、近代的、オシャレで衛生的な設備を備えた施設を作り、若者からお年寄りまでもが気軽に交流できる施設を作りましょうという、セントニア人のたちの提案をもっともだと思いました。

イナカニア人は、曲がりくねった山奥の温泉まで出かけるより、家の近くや道路の良い場所に大きな温泉があったらとてもいいと思いました。

1億円だけでは温泉井を掘るだけです。そこで、建設に関わるセントニア人やそこでの活動経験の豊富なイナカニア人たちは様々な補助金を駆使して、交流施設という名目で温泉入浴施設を作りました。

1ヶ所が出来上がると、最初のうちは大盛況でした。この大盛況の様子をセントニア人は見逃しません。

まだ温泉施設を作ってないイナカニア地方政府のもとへ行き、「ある地方政府が温泉入浴施設を作って大盛況ですよ」と講演してまわります。もちろん、講演料や企画料は頂きます。なぜなら、地方政府が突然こういった施設を作るには何らかの補助金が必要ですが、申請はものすごく複雑で、どういった補助金なら計画を実現できるかわからないからです。

地方政府は情報を収集します。なるほど、大盛況。さっそく同じような施設を作るのですが、近隣の温泉入浴施設のない地方政府の需要も勝手に見込んで大きな施設を作ります。しかし、気が付いた時には全ての地方自治政府に温泉入浴施設ができてしまっているのです。

そのかげで、昔からの温泉場には地元の人が来なくなってしまいした。

温泉場からはイナカニア人の民謡の歌声や、湯治の地方人を相手にする行商人の姿が消えたのです。

 

セントニア人はいいました。

これからは自然をPRしてセントニア人に観光に来てもらいましょう。

全国の自然の豊かな場所に、ビジターセンターが作られました。

なぜか、どこも同じ内装に見えます。

セントニア人の好みに合うように、展示物が選ばれ、配されているからです。

それらをコーディネートしたり企画するためのお金もセントニア人に支払いました。

 

今度はセントニア人たちは突然言い出しました。

自然を破壊するな。開発は止めろと。

資本力の弱いイナカニア人の企業はセントニア人たちのリゾートより計画が遅れました。

だから自然保護が叫ばれ始めると、ますます開発を進める事ができなくなります。

昔からの温泉場は、温泉入浴施設の増加でイナカニアの地元客ではなくてセントニアの観光客に頼らなければなりません。

しかし、観光地同士をつなぐ道路網が完全ではありません。山奥の不便な温泉場ほど、道路の開発が自然破壊だとか、無駄といわれて新しい路線の計画が止められてしまいました。

 

セントニアは大量の電力が必要です。

イナカニア地方の川にはダムが作られています。

知識人ぶるセントニア人たちは、自然破壊だからダムは作るなといいます。

イナカニア人の小さな集落を守るための砂防ダムや農業用水を得るためのダムは猛反対しますが、一方でセントニア人たちは、イナカニアの川を涸らしてまで電力のために水が必要です。

そして、水力から得られる電力がエコだと言い張るのです。

 

セントニア人は言いました。

イナカニア地方政府が赤字なのは、規模が小さく非効率だからだ。

地方政府はセントニアの大企業が大もうけしているのは、規模が大きく効率的だからだと思い込み、本当の意味もわからず合併しました。

総額の人件費は減りました。

しかし、中身は組織が大きくなった分、管理部門の人件費が多くなり、逆に効率化の名の下に住民サービス関連の人件費が減少しました。

自治範囲が大きくなった分、地域固有の文化や経済がますます軽んじられるようになりました。

小さなイナカニア地方人の商店が潰れてもだれも気に留めません。セントニア人の大企業がやって来てくれることだけに目が行き、地域固有の経済は壊滅するでしょう。

バイパスや大規模な公共事業が多くなり、注目が集まります。

なぜなら、政治家もそれぞれの地域の発展に利することをしようとすると、他の地域から批判され票を失うからです。

だから、大きな地域をまとめる象徴的な大事業に傾注することになります。

でも、大きな地域をまとめるような象徴的な大事業は、ほとんどが競争入札をするとセントニア人の大手企業が落札します。

しかも、出来上がってもだれも、その建設に見合うだけの利用はしません。

逆にまとまって利用が増えた場合も、それまでの各地域の何らかの生業が奪われ、セントニア人の企業に利用されてしまうだけでしょう。

地方政府の合併で新庁舎や一箇所の庁舎に統合されてますが、そのために、庁舎の周囲にあった食堂や商店の経営が圧迫されてます。逆に、新庁舎を建てた場合に周辺にはさっそくセントニア人経営のコンビニやスーパーなどが即座に進出してきます。

 

イナカニアの子供たちはセントニアのある大学へ行きたがります。

セントニアにはこの国の最高学府、そしてイナカニアには無いレベルの高い大学がたくさんあります。

若者たちはイナカニアをよくしようとセントニアで学ぼうとしています。本当はイナカニアで学べればよいのですが、この国は出身大学でその人の材(能力)を計るので、セントニアの良い大学を出た方が、良い企業に就き、また政府での仕事も高いレベルへと就けると考えるのです。そのことがイナカニアをよくできるとも信じているのです。

でも、イナカニアには彼らの持つ、高い知識や、意欲を活用できる場がないのです。

上に今まで書いてきたように、セントニアになんでも決めてもらったり、助言をもらったりしてきました。そしてその報酬もイナカニア人に与えるよりも、セントニア人に与える方が多くなってしまっているのです。

セントニア人の専門家と同じレベルやそれ以上の高い経験や見識を持つ人でも、イナカニア人同士では先生と呼ばれることはないのです。セントニアからやってくれば、それだけで立派な先生がやってきてくれたと、思い込むようになってしまったのです。もちろん、内心はそう思っていなくても、上で書いてきたようにイナカニア経済はセントニアの一存になってしまっている現状では、賢い者ほど何も言えなくなっているのです。

 

さて、最近セントニア人たちは憲法裁判所に訴えを起こしました。

この国は民主国家なのに、イナカニア選出の議員が多すぎる。

人口はセントニア人が一番多いのに、一票辺りの格差が大きすぎる。

イナカニアでは10万票も集めれば国会議員になれても、セントニアでは100万票集めないと、それでも国会議員になれないかもしれないのは、この国の平等と民主主義の根幹にかかわる憲法問題だと。

セントニアの知識人たちも一斉に「そうだ!!」と同意して、多くの有名人たちを、それぞれに担ぎ出しては、市長や知事に推して、そして、次の国政選挙で、こういった影響力ある人の力で、セントニアに有利な多数の議員を送り込もうと画策しています。

イナカニアでは昔は、選挙で候補者の訴えを聞いたり、名前を聞いたり、姿を見たり、普通のことでしたが、すでに今の選挙区でも、候補者の姿を見ることはありません。人口密度が低く、選挙区が広いためです。名前も、主張も、顔も知らない候補者が立候補しています。もしかしたらイナカニア人のふりをしたセントニア人かもしれませんが見分けることはできません。

たまに、有名なイナカニア人や、代々選出されたイナカニア人政治家の2世、3世が起つことがありますが、今回の選挙では、セントニアでこれら2世議員たちの不甲斐無さの面だけが強く批判されて、セントニアにある全国放送局でそのことがイナカニア全土に広められているので不利な戦いを強いられています。

イナカニアは広大で地域ごとに様々な問題があり、荒廃も進んでいますが、その対策はセントニア中央政府が動かなければ、解決できないことがあまりにも多いのです。

先々書いたように、この国は一つの法治国として、規制や法律が厳しく定められて、地方政府には権限がありませんから、国会での予算の議決があってはじめて、それらの諸問題に取り組めます。

一部、セントニア人たちは地方分権するから、国会議員は国家の大所高所だけで、地方問題は地方に委ね、財源と権限を戻すと言っていますが、財源や権限だけでは全く足りないのです。

その地方に沿った、その地方が必要とする、法律や規制が必要であり、その地方の発展を妨げる法律や規制は無用であり、それらを決められる自治が必要なのです。

セントニア人はそこまでは、手渡したくありません。しかもイナカニア人も中央に任せておけば楽ができるというのが染み付いてしまいました。そして、この国はヤマトという単一中央集権国家でありたいと願う右派がセントニア、イナカニアともどちらにも増えてきました。

同様に地方での諸民族問題を抱えた中花という隣国が、ヤマトにちょっかいを出すことで、同じように単一中央集権国家を維持しようと企んでいるからです。

問題の本質はヤマトも中花も同じなんですが、これは、この2国だけの問題ではないし、今後この世界では多くの国同士がグローバル化の名の基に自由貿易経済圏が拡大し、多くの、また段階的なイナカニアとセントニアの関係と同じことが見られるようになるでしょう。

 

さて、このまま書き続けたいところですが、あまりに長くなるので打ち切り。

で、どうでしょうかね?

民族が違えば許されない?民族が同じなら許される?

それとも、

どちらでも許される?

どちらでも許されない?

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