北海道で起きたひき肉偽装事件の裁判で一部の報道が『 一罰百戒 』という言葉を使って、社長に重い刑が言い渡されたと報じていましたが・・・。
『 一罰百戒 』
どこの出典かはわからないけど、
・刑一而正百、殺一而慎万。
『 塩鉄論 』 疾貪
・殺一以懲万、賞一而勧衆。
『 群書治要 』
・賞一以勧百、罰一以懲衆。
『 文中子 』 立命
の3つが似たような意味と思います。
もし、これらが出典だとすると、かなり作者の意図するところと違う意味で使ってしまっている言葉だと思います。
これら3つの云わんとするところで、重要なのは『 一を刑する 』・『 一を罰する 』・『 一を殺す 』の『 一 』を指すのが何かということです。
この3つは治国の基本を述べていますが、『 一 』は実を言うと王族や側近など影響力のある人物を指しています。
当時は法をいかに守らせるかということに重点があったのですが、その法を歪めて守らなかったのは主に王族や側近たちでした。
しかし、王族や側近達が法を守らなければ、民も法を軽んじて法を守るものがいなくなってしまう。そこで、王族や側近といえども法を犯せば刑罰は逃れることはできないと示し、民にも法の遵守を促したのです。
上の言葉に倣い、兄弟や息子でも罰した王もいましたし、側近中の側近を罰した例もあります。一番有名なのは『 涙を揮いて馬謖を斬る 』諸葛孔明などです。
『 一 』は現代に置き換えるなら、政治家や上場大企業でしょう。
したがって、北海道の一中小企業の社長を罰しても『 百戒 』にはならないのです。
もし検察が意識的に立件し、裁判官が上の言葉を使ったとしたなら大問題です。
法の下の平等もなく、地方の庶民だけは重い刑罰を与えるが、大企業は影響力を考慮して甘い処罰で済ませるとしたら、『 一罰百戒 』とは逆の行為なのです。
しかも、毎度毎度北海道が最初の『 一罰 』のターゲットにされていること。
不思議でしょうがないですね。
北海道拓殖銀行は潰されるは、リゾートの相次ぐ破綻、雪印、白い恋人、ひき肉、鈴木宗男、夕張・・・
同じような事件や事柄でも、中央の大企業なら数日の営業停止や謝罪、経営の交代、辞任、政治家も辞任やいろいろな画策で、うまいこと切り抜けられるけど・・・。
これで北海道の民族が違っていたら大変な問題になっていたと思うのですが・・・。
民族が同じということが、地方にこれほどの無関心を根付かせるのかといつも考えさせられます。
皮肉ですが非暴力でしかもなんの要求も改善も求めない北海道民にぜひノーベル平和賞を授与してもらいたいものです。まあ日本人全員がノーベル平和賞向きですね。
