安全保障?

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"金剛なれば則ち折れ、革剛なれば則ち裂け、人君剛なれば則ち国家滅び、人臣剛なれば則ち交友絶つ"

「説苑」敬慎


安全保障の法制化は危険極まりない。
対案などといっている輩もいるが、柔軟であることこそが安全だ。
つまり法制化、法律化などすべき案件ではない。
米国があれだけ言っていたイラクの大量破壊兵器は?
同じことが北朝鮮であったら日本は参戦するの?
同じように米国が北朝鮮の大量破壊兵器が日本へ向けられているといって、それを鵜呑みにして戦争するの?
抑止力?
さんざん、世界を何度滅ぼしてもお釣りがでるくらいの核兵器を抑止力といって作り続けてきた歴史は?
軍を抑止力として持つと、際限が無くなる。
人間が軍による戦争が起こして以来の歴史で明らかなことだ。
隣国はそれ以上に軍備を増強するだけなのだから。
某元自衛官の髭の国会議員は、素人には参戦できないから徴兵制は無いなどと言ったが、隣国の大国は軽く100万の兵力を展開できる。
大量の人的な展開にハイテク兵器だけで対応できる?
結局、抑止力で軍を考えるなら軍拡は避けられず徴兵制も避けては通ることができない。
まして、このことが「人臣剛なれば則ちこう交友を絶つ」になりかねず、安全保障どころかますます戦争の危機を増やす行為だ。

"兵は不祥の器、君子の器に非ず。"

「老子」三十一章


似た言葉は古代中国の兵法書にもハッキリ書かれている。

"兵は不祥の器にして、天道之を憎む"

「三略」下略


兵法書という軍事を指南する書物で用兵だけでなく軍備や戦争時の政治についても書かれているが、その兵法書の多くが政治手段として戦争はすべきではないとはっきり書かれている。

これは、日本の平和憲法と自衛隊の存在の関係性とよく似ている。矛盾しているように見えて兵法上ももっとも理想的な状態。戦争を否定しつつ軍を国軍として精強にする。一見矛盾しているようでも、実は最も理想的な状態であることに気がつく人は少ないのだろうか?

そう、矛盾という言葉に平和憲法と自衛隊という存在を挙げる輩もいるが、むしろ抑止力として軍を考えることこそ文字通りの矛盾。
どんなものでも防げる盾とどんなものでも貫ける矛。
その競争こそ軍を抑止力として考えることの最大の矛盾だろうと思うのだけど。

古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす
論語 憲問
古之学者為己、今之学者為人

発見よりも発明。
自然科学者であれば自分の修養、満足のために発見をする目的で様々な研究を行っている学者もいる?が、化学や昨今の医科学の分野では特に発見では飽き足らず、発明に固執する傾向が強いように思える。
おそらく、発見であれば特許を取ることはできないが、発明であれば特許を取得し、研究機関や企業、国家に多大な利益をもたらすことが、意識的、無意識にも研究を取り巻く環境に影響を与えていると思う。
学者もそれがわかっていて、十分な発見の成果であるにも関わらず、発明として確立させるために、発現の経緯とその過程を理論化すること、且つそれが最初でなければいけない、二番目ではダメであることの重圧と焦りから、未熟な論文内容で発表しているようにも感じられる。
今回の騒動も、対象のモノが本当に存在して、作り出してはいたことが確かならば、十分な発見であると思う。生物を扱う自然学者であれば、これを発明ではなくて発見として発表するべきだったと思う。過程や理論はそれから組み立てても、学者としての自己の修養を考えるならそれで十分だったはず。
でも、そうさせない研究を取り巻く環境や、自然科学とは違う医科学や化学の学者の考え方なのかもしれない。
でも、最近は自然科学も「××の為」という目的意識が強すぎると思う。そのためにデータを自分のその「××の為」に合うように収集し繋ぎ合わせているに過ぎない。
鯨の問題、自然保護や、動物保護で特にその傾向が強いと思う。
鯨を捕り続けたいが為の研究、鯨を保護したいが為の研究。まったく逆の理論ができるのは当然。
鯨を知りたいから研究するという学者なら信用できるが、日本の政府、そして保護側の組織の研究結果はどちらも全く信用できない。
ダムの問題、熊の問題も同じ。
いやよく考えてみたら自然科学だけじゃない、医学、原子力、そして最近の外交問題までなっている歴史、様々な学問で学者の「××の為」という独り善がりと、それを都合の良いように取捨する、マスコミと大衆と政治家。
自分自身が人としてより良い存在になろうという、またその為の修養を楽しめる学者というのはいなくなってしまったのか?
それとも、本当にそういう学者は古代中国の仙人のように隠者となってしまったのか?
学者が、その学者本人が、本当によりよくありたい自分を修養する為の学問とその成果というのは、自然に正しく、現実であり、何を意識するでもなく自然と人の為にもなるものになると思うのだけど・・・。

真っ先に愚痴をこぼしたい問題といえばチベット騒乱なのですが・・・。

やっぱりという気持ちもありますが、こんなに早く起きるとは少し予想してませんでした。おそらくオリンピック中か直後辺りを予想していたのですが、中国の変化は予想以上に早く大きいのだと思いました。

 

チベット人が騒乱を起こしたことや、中国政府が鎮圧したことに愚痴をこぼしたいのではありません。

この騒乱の原因がけっして人事だとは思えないのです。

 

今回の騒乱では当初チベット独立問題がクローズアップされていましたが、徐々に独立問題だけでなく経済や文化の問題のほうにも注目が集まるようになってきました。

 

日本のように同じ民族同士の国ならば、地方の文化が破壊されても『先行地域に習い近代化した』とか経済が侵食されても『雇用の創出と開発に協力してくれた』と言い、結果、生業を失っても『時代の流れ』と諦めてしまう人々が多いのだと思うのですが。

北海道にはアイヌの人々がいますが、大半が日本人で同じ日本語を話す人々しか回りにいないなかで、国家、民族、文化、経済の考えにルーズになってきているように感じます。

 

実はチベットで起きていることは程度の差やスピードの差こそあれ、日本の地方でも同じ事が起きているのです。

 

もし、ここを読んでいる貴方が、中央の人なら、地方とは別の民族だと考えてみてください。

地方の人なら、同じように中央の人とは別の民族だと思ってみてください。

次に書くことを民族の違いを前提によく考えて欲しいのです。

仮に国名をヤマト、地方の人をイナカニア人、中央の人をセントニア人としましょう。

 

世界はグローバル化しています。経済はスピードと大量輸送の時代です。新幹線を作りましょう!!

イナカニア人が言い出したのか、セントニア人が言い出したのかわかりませんが、多くの人が経済がよくなると信じました。

イナカニアの都市の駅前は地価が上がりました。

資本力の小さいイナカニア人は新幹線ができてもすぐには大きなホテルを作る事ができません。

やっと融資を受けてホテルを建てても、セントニア人のチェーン店のホテルには建設時からコストも規模も違います。ヤマト国一律の法律とそれによる規制ですから、同じ設計のホテルを何軒も建てている大手のほうが建設コストが低いのです。建設コストだけではありません、他の什器備品のコストも違います。営業のために必要な法律や規制の知識も、セントニアの大企業にはかないません。ホテルだけではありません、カラオケボックスもゲームセンターもコンビニも全国一律の数多くの規制だけで大手のほうが有利になるのです。この規制はこの国の国会で決められますが、国会議員はイナカニア人選出もいますがセントニアに住み、セントニア人から資金提供を受けている人が増えています。新幹線を自分を選出したイナカニア地方に強力に引張った人の中には、総理大臣までなったイナカニア人の政治家もいましたが、セントニアの商人から資金提供を受けていて失脚しました。セントニア人、イナカニア人問わず全国一律の教育によって全国同じ法律、規制のほうがイイと信じ込まされています。

また価格競争でも薄利多売のできるセントニアのホテルにはかないません。

いま、イナカニアの新幹線駅のある駅前は全てセントニアの資本による企業の看板が林立して同じ景色が広がっています。

 

物流のスピードを上げコストを下げるため。高速道路とバイパスを建設しましょう!!

全国津々浦々に高速交通網が整備されました。

イナカニア人は農産物をセントニアに売り込めると歓びました。でも、全国からセントニアの下に集まってくるので、セントニア人の需要を越えた量も集まります。この国は縦に長いといっても、農産物はある程度同じ時期に取れます。価格は労働の価値に見合うものにならないときが増えました。一方で、イナカニアには常時、他の地方や海外で取れた物が流通し、価格を引き下げています。

道路交通網はセントニアが基点になっているので、運送もセントニア人の経営する大手やセントニアに拠点がある方が有利です。全国の道路交通網が整備されるほど、セントニアにある大手のほうが有利なのです。

そして、大量に商品を扱うセントニア人のコンビニエンスなる店がやってきました。

商品はイナカニア地方の工場から別のイナカニア地方の消費地へと流れるだけですが、セントニア人はセントニアにある本社ビルでコンピューターで販売管理をするだけでお金が儲かります。

イナカニアの地域の小さな商店は閉店するか、傘下に入るかを余儀なくされました。

バイパスで市内を通過せずに高速移動する事が可能になりました。

バイパスには大量に素早くやってきた商品を取り扱うセントニア人経営の店舗が林立しています。

市街の商店街はシャッター通りになりました。

 

あるセントニア人がイナカニア人に言いました。

野山を切り開き、セントニア人が好むリゾートを作りましょう。

イナカニア人はそれまで冬場にセントニアへ出稼ぎに行かなければならなかったのが、行かずに済むようになると考えました。

全国で野山は切り開かれてセントニア資本のリゾートが建設されました。

イナカニア人は願い通り出稼ぎに行かなくても済むようになり、家族揃っての正月を迎える事ができるようになりました。

でも、利益は全てセントニア人に、イナカニア人は労働者でしかありません。

昔からあったイナカニア人経営の小さなスキー場やゴルフ場はなくなりました。

やがて、セントニア人は別のことに気がとられるようになりました。

イナカニアのリゾートへは来なくなってきました。

セントニア人は利益の上がらなくなったリゾートを手放したいと思うようになってきました。

まるで、厄介者のように経営権をセントニア人同士でたらい回しにして、それでも、だめならイナカニア地方自治政府に「金をだせ、でなければ閉鎖だ」とせまります。

もともと、セントニア人がたくさんやってきて滞在することを目的に作られた施設です。

イナカニア人のために使おうとしても、コストや目的が合いません。

イナカニア地方自治政府も結局、お金を出すか、閉鎖するか判断を迫られます。

閉鎖すれば、多くの人が職を失います。

お金を出しても、地方自治政府は経営に関して劣等感を植え込まれているので、だれもやろうとはしません。まして、同じイナカニア人へやらせようとも考えません。

なぜなら、先にイナカニア人経営のリゾートが淘汰され潰れているから、任せることに不安があったり、批判されることを恐れてのことです。

 

あるセントニア人が言いました。

「観光客を誘致しましょう。そのためには立派で大きくて衛生的で近代的で面白い施設が必要です。私達セントニア人がセントニア人の好みに会う施設を考えてあげましょう。」

イナカニア地方自治政府はこの申し出をもっともだと思いました。全国一律の教育は地方が立ち遅れているという認識を植え込んでいますから、そう思うのは無理のないことです。

 

セントニア人は、美術館を提案しました。

イナカニア地方の文化意識を高めましょう。

好景気で美術品が高い中でもイナカニア地方自治体は文化事業としてこれを買い漁りました。

文化的価値があるからこそ値段が張るんだと思い込まされていました。

美術品の選定、購入は全てセントニア人の経営するお店です。

文化意識が遅れているから、美術館を建てる。だから、当然文化意識の進んでいるセントニアに頼んで立派な美術館を建てるべきだと、イナカニアの行政官や議員たちは、そう思い込まされました。

イナカニア人とは縁も縁もない芸術家の作品が立派な建物に鎮座しました。

道祖神や小さな社が荒れているというのに、セントニア人の文化やセントニア人が選ぶ文化を賞賛することが文化的だとされたのです。

建物もそれらしく見えるようにセントニア人にお金を払って考えてもらいました。

あるいは名前までお金を払ってセントニア人に決めてもらいました。

今、セントニア人たちはこれを見て、イナカニア人がものすごい無駄遣いをしたと怒っています。

 

イナカニア人は突然のお金の使い道を考えました。

ちょうど、セントニアにある中央政府は地方政府に使途を限らない1億円のお金をプレゼントしたのです。もちろん、イナカニア選出の議員たちも関わり、とても喜びました。

ある意味でイナカニアではじめて、セントニアで決められたことではなく、自分たちで使途を自由に決められると思ったからです。

しかし、突然のプレゼントに、イナカニア人は戸惑いました。そして、古い温泉湯治場より、近代的、オシャレで衛生的な設備を備えた施設を作り、若者からお年寄りまでもが気軽に交流できる施設を作りましょうという、セントニア人のたちの提案をもっともだと思いました。

イナカニア人は、曲がりくねった山奥の温泉まで出かけるより、家の近くや道路の良い場所に大きな温泉があったらとてもいいと思いました。

1億円だけでは温泉井を掘るだけです。そこで、建設に関わるセントニア人やそこでの活動経験の豊富なイナカニア人たちは様々な補助金を駆使して、交流施設という名目で温泉入浴施設を作りました。

1ヶ所が出来上がると、最初のうちは大盛況でした。この大盛況の様子をセントニア人は見逃しません。

まだ温泉施設を作ってないイナカニア地方政府のもとへ行き、「ある地方政府が温泉入浴施設を作って大盛況ですよ」と講演してまわります。もちろん、講演料や企画料は頂きます。なぜなら、地方政府が突然こういった施設を作るには何らかの補助金が必要ですが、申請はものすごく複雑で、どういった補助金なら計画を実現できるかわからないからです。

地方政府は情報を収集します。なるほど、大盛況。さっそく同じような施設を作るのですが、近隣の温泉入浴施設のない地方政府の需要も勝手に見込んで大きな施設を作ります。しかし、気が付いた時には全ての地方自治政府に温泉入浴施設ができてしまっているのです。

そのかげで、昔からの温泉場には地元の人が来なくなってしまいした。

温泉場からはイナカニア人の民謡の歌声や、湯治の地方人を相手にする行商人の姿が消えたのです。

 

セントニア人はいいました。

これからは自然をPRしてセントニア人に観光に来てもらいましょう。

全国の自然の豊かな場所に、ビジターセンターが作られました。

なぜか、どこも同じ内装に見えます。

セントニア人の好みに合うように、展示物が選ばれ、配されているからです。

それらをコーディネートしたり企画するためのお金もセントニア人に支払いました。

 

今度はセントニア人たちは突然言い出しました。

自然を破壊するな。開発は止めろと。

資本力の弱いイナカニア人の企業はセントニア人たちのリゾートより計画が遅れました。

だから自然保護が叫ばれ始めると、ますます開発を進める事ができなくなります。

昔からの温泉場は、温泉入浴施設の増加でイナカニアの地元客ではなくてセントニアの観光客に頼らなければなりません。

しかし、観光地同士をつなぐ道路網が完全ではありません。山奥の不便な温泉場ほど、道路の開発が自然破壊だとか、無駄といわれて新しい路線の計画が止められてしまいました。

 

セントニアは大量の電力が必要です。

イナカニア地方の川にはダムが作られています。

知識人ぶるセントニア人たちは、自然破壊だからダムは作るなといいます。

イナカニア人の小さな集落を守るための砂防ダムや農業用水を得るためのダムは猛反対しますが、一方でセントニア人たちは、イナカニアの川を涸らしてまで電力のために水が必要です。

そして、水力から得られる電力がエコだと言い張るのです。

 

セントニア人は言いました。

イナカニア地方政府が赤字なのは、規模が小さく非効率だからだ。

地方政府はセントニアの大企業が大もうけしているのは、規模が大きく効率的だからだと思い込み、本当の意味もわからず合併しました。

総額の人件費は減りました。

しかし、中身は組織が大きくなった分、管理部門の人件費が多くなり、逆に効率化の名の下に住民サービス関連の人件費が減少しました。

自治範囲が大きくなった分、地域固有の文化や経済がますます軽んじられるようになりました。

小さなイナカニア地方人の商店が潰れてもだれも気に留めません。セントニア人の大企業がやって来てくれることだけに目が行き、地域固有の経済は壊滅するでしょう。

バイパスや大規模な公共事業が多くなり、注目が集まります。

なぜなら、政治家もそれぞれの地域の発展に利することをしようとすると、他の地域から批判され票を失うからです。

だから、大きな地域をまとめる象徴的な大事業に傾注することになります。

でも、大きな地域をまとめるような象徴的な大事業は、ほとんどが競争入札をするとセントニア人の大手企業が落札します。

しかも、出来上がってもだれも、その建設に見合うだけの利用はしません。

逆にまとまって利用が増えた場合も、それまでの各地域の何らかの生業が奪われ、セントニア人の企業に利用されてしまうだけでしょう。

地方政府の合併で新庁舎や一箇所の庁舎に統合されてますが、そのために、庁舎の周囲にあった食堂や商店の経営が圧迫されてます。逆に、新庁舎を建てた場合に周辺にはさっそくセントニア人経営のコンビニやスーパーなどが即座に進出してきます。

 

イナカニアの子供たちはセントニアのある大学へ行きたがります。

セントニアにはこの国の最高学府、そしてイナカニアには無いレベルの高い大学がたくさんあります。

若者たちはイナカニアをよくしようとセントニアで学ぼうとしています。本当はイナカニアで学べればよいのですが、この国は出身大学でその人の材(能力)を計るので、セントニアの良い大学を出た方が、良い企業に就き、また政府での仕事も高いレベルへと就けると考えるのです。そのことがイナカニアをよくできるとも信じているのです。

でも、イナカニアには彼らの持つ、高い知識や、意欲を活用できる場がないのです。

上に今まで書いてきたように、セントニアになんでも決めてもらったり、助言をもらったりしてきました。そしてその報酬もイナカニア人に与えるよりも、セントニア人に与える方が多くなってしまっているのです。

セントニア人の専門家と同じレベルやそれ以上の高い経験や見識を持つ人でも、イナカニア人同士では先生と呼ばれることはないのです。セントニアからやってくれば、それだけで立派な先生がやってきてくれたと、思い込むようになってしまったのです。もちろん、内心はそう思っていなくても、上で書いてきたようにイナカニア経済はセントニアの一存になってしまっている現状では、賢い者ほど何も言えなくなっているのです。

 

さて、最近セントニア人たちは憲法裁判所に訴えを起こしました。

この国は民主国家なのに、イナカニア選出の議員が多すぎる。

人口はセントニア人が一番多いのに、一票辺りの格差が大きすぎる。

イナカニアでは10万票も集めれば国会議員になれても、セントニアでは100万票集めないと、それでも国会議員になれないかもしれないのは、この国の平等と民主主義の根幹にかかわる憲法問題だと。

セントニアの知識人たちも一斉に「そうだ!!」と同意して、多くの有名人たちを、それぞれに担ぎ出しては、市長や知事に推して、そして、次の国政選挙で、こういった影響力ある人の力で、セントニアに有利な多数の議員を送り込もうと画策しています。

イナカニアでは昔は、選挙で候補者の訴えを聞いたり、名前を聞いたり、姿を見たり、普通のことでしたが、すでに今の選挙区でも、候補者の姿を見ることはありません。人口密度が低く、選挙区が広いためです。名前も、主張も、顔も知らない候補者が立候補しています。もしかしたらイナカニア人のふりをしたセントニア人かもしれませんが見分けることはできません。

たまに、有名なイナカニア人や、代々選出されたイナカニア人政治家の2世、3世が起つことがありますが、今回の選挙では、セントニアでこれら2世議員たちの不甲斐無さの面だけが強く批判されて、セントニアにある全国放送局でそのことがイナカニア全土に広められているので不利な戦いを強いられています。

イナカニアは広大で地域ごとに様々な問題があり、荒廃も進んでいますが、その対策はセントニア中央政府が動かなければ、解決できないことがあまりにも多いのです。

先々書いたように、この国は一つの法治国として、規制や法律が厳しく定められて、地方政府には権限がありませんから、国会での予算の議決があってはじめて、それらの諸問題に取り組めます。

一部、セントニア人たちは地方分権するから、国会議員は国家の大所高所だけで、地方問題は地方に委ね、財源と権限を戻すと言っていますが、財源や権限だけでは全く足りないのです。

その地方に沿った、その地方が必要とする、法律や規制が必要であり、その地方の発展を妨げる法律や規制は無用であり、それらを決められる自治が必要なのです。

セントニア人はそこまでは、手渡したくありません。しかもイナカニア人も中央に任せておけば楽ができるというのが染み付いてしまいました。そして、この国はヤマトという単一中央集権国家でありたいと願う右派がセントニア、イナカニアともどちらにも増えてきました。

同様に地方での諸民族問題を抱えた中花という隣国が、ヤマトにちょっかいを出すことで、同じように単一中央集権国家を維持しようと企んでいるからです。

問題の本質はヤマトも中花も同じなんですが、これは、この2国だけの問題ではないし、今後この世界では多くの国同士がグローバル化の名の基に自由貿易経済圏が拡大し、多くの、また段階的なイナカニアとセントニアの関係と同じことが見られるようになるでしょう。

 

さて、このまま書き続けたいところですが、あまりに長くなるので打ち切り。

で、どうでしょうかね?

民族が違えば許されない?民族が同じなら許される?

それとも、

どちらでも許される?

どちらでも許されない?

徳不孤、必有隣

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徳のあるものは孤立することはない。
必ず隣に友人がいる。
 
右傾化というが、ほとんどの国で、自国が右傾化していても、気が付くものはいない。
とくに、極東アジアの米作民族ではそうだと思う。
WWIIのときのドイツのように独りの独裁者によって引き起こされた右傾化は極めてわかりやすいが、それでも全員で傾いている最中はその異常さに気が付かない。日本も含めて米作民族は終わった後も当事者本人にはそれがわからない。全体に一緒に傾けば、それは自分から見て水平にしか見えないからだ。
しかも、日本は実は右という概念より、内という概念の方が強いのが特徴の右傾化だと思う。
つまり右傾化というより内傾化といったほうが正しい。
...
隣国に友人を作らず、ただ、悪いニュースだけで隣国の国民より自国民が優れているなどと思い込み。互いに中傷合戦を行っている。更には、今は互いに軍や同等の組織まで動かしけん制し合う。極めて危険で異常な事態であることに気が付かない。
米作民族は小魚の群れと同じだ。すぐ真横にいる者の動きを気にして、内に内に潜り込む。
日本も韓国も北も中国も群れの大小はあっても同じだ。
だから右に行っても左に行っても、全体に動いているから気が付かないだけ。真横に従い、自分のスタンスがまるでわかっていない。
皆に問いたい。
あなた方は友人と会って、友人の家の悪口を言い、自分の家の立派さだけを誉めちらし、友人が劣っていると言い、自分が優れていると言うだろうか?
逆に、それを言わないからといって、自分が劣っているなどと考えるだろうか?
友人とは対等なはず。優れた友人を持っているなら、自ずと誰が言うでもなく、自分で言わなくても優れているものなのだ。
優れた友人を持たない者が、自分を確立しようと、自分や自国のことを優れていると自己顕示しているのだ。
物作りも同じ。優れた素晴らしい商品を作れば、素晴らしいお客様、素晴らしい商機に恵まれる機会が増える。自分で誇張しなくても、素晴らしいお客様がいることで、また同じく素晴らしいお客様が増えていくものなのです。
お互いに優れた友人同士であること、そのような友人が多いことが、何よりも重要なことだが・・・。
例えば、隣家に自分の家の柿の枝が伸びて実っても、真の友人同士ならその実を巡って、争うだろうか?もし、隣家に友人が居り、その友人は周りの多くの家に優れた友人が大勢いる。その家の柿の木が大きくなり、自分の家の敷地にかかってきたとしても、それを巡って争うだろうか?そのことで争うことにメリットがあるだろうか?また、逆に友人の家に近い柿の木にあえて、警報機を取り付けたり、近づいただけで過剰に警告するのだろうか?たとえ、自分の土地であろうとも、友人の家の軒先にかかるのなら、敵としてではなく、なおのこと友人として、接している場所のあることを慶事と思うべきところ。
一度、悪口を言い合った仲、しかも、小魚の群れ同士では互いを知ることもできないだろう。
それぞれの群れの敵はもっと別のものなんだけど、内向きではきっと最後まで気が付かないだろうし、お互いに敵同士と思うようなことになるかも。
WWIIなぜ引き起こされた???
真の原因は???
右でも左でもない。その原因はグローバル化を利用して恐ろしいほど膨らんでいる。
それが、僕がWWIIIを懸念する最大の材料なのです。
 
もし、私たちの国に隣国に友人がいないとすれば、残念ながら私たちに徳がないのです。
そう思い、徳を積むことが大事なのです。
特に各々が積む小徳は大事なのですが・・・。

基本的な疑問。
物を買えば消費税がかかります。
ホテルや旅館に泊まっても消費税がかかります。
様々なサービスにも消費税がかかります。
モノを作るにも様々な規制や検査などで膨大な時間と費用がかかります。
旅館やホテルだって消防施設の点検や様々な行政に定められた税に近い強制的な出費があります。
なのに為替、つまり日本円で外国通貨を買って消費税がかからないのはなぜ?
おなじく外国通貨で日本円を買って消費税がかからないのは?
株を取引しても、いちいち5%の消費税がかかるの?
そして今度は10%ちゃんととるの?
ファンドは?
債権は?
ガソリンは税金がたくさんかかってるけど、原油の先物取引でちゃんと同じ税率で税金とってるの?
株取引の規制は、実物経済に掛けれれているのと同じくらい厳しい規制とその検査のための出費が定められてるの?

世界は実物の、人が汗して働いて作り上げたモノやサービスではなくて、金で金を買うことで儲けようとする人で溢れていく。

金で金を買う行為の税負担を軽く、実物経済の税負担を重くすればどうなるか?
ますます、人は働かなくなるだろうね。
本当に美しいものも、本当に機能的なものも、本当に斬新なものも、本当に安全なものは、もう人類は作り出せなくなると思う。
原発のように投資家を喜ばせるもの、そんなものしかきっと作れなくなると思う。
そう、使う人ではなくて、投資家を。
食べる人ではなくて、投資家を。
サービスを受ける人ではなくて投資家を。
そして、使う人、食べる人、サービスを受ける人も、投資家が喜ぶものを買うようになるのです。

本当に原発がよい例でしょう。

誰が喜ぶか?それを考えれば分かることです。

資本主義は人間が幸福な社会を築くためのとても大切なシステムだと思う。
それは、実物の経済を育てる水であり、肥料であり、効率よく循環させる潤滑油のはずだった。
でも、世界は違う方向へ向かっている。
歪に膨らんだ資本を維持するために、実物経済から強制的に税という形で搾取する。

それが間接税つまり日本では消費税という名の売上税である。

別に株取引や為替の取引、資本の流れに同様の税金をかけろとは言わない。しかし、お金の流れが血であるならば、実物はそれ以上の価値のあるもの。いくら資金の流れを良くしたところで、実物の流れに障害を発生させれば、まったく意味を持たない。いくら血が大切でも、実物、つまり身体をないがしろにはできないし、それ以上となることはできないのだ。

だからこそ、間接税は絶対にしてはならない税金だし、これは後述の自由貿易を行う上でも、自由貿易上の全ての国は直接税(所得税)に切り替えるべきなのだ。


僕はこの歪んでしまった資本主義、いや資本主義に寄生するバーチャルな資金循環、はっきりいってこのバブルを完全に排除しない限り、自由貿易には反対だ。

安い労働力、未開発の資源を乱開発する、そういったところに、そのバーチャルな資金がなだれ込み、既存の実物経済を害するからだ。

そして、本当に美しいものも、本当に機能的なものも、本当に斬新なものも、本当に安全なものは、もう人類は作り出せなくなるからだ。

私がTPPに反対する一つの理由でです。

でも、それらバーチャルな資金の流れが経済の中で僅かな部分となり、完全にコントロールすることができたなら、その時は完全な自由貿易こそが、世界と世界の隅々の小さな地域までもが、グローバル化のなかで持続的な繁栄を得られる最高のシステムになると思う。その時が資本主義の完成だと思う。今の資本主義は赤子同然。なのに、自由自由と這い回り危険な状態だと思うのです。

世界は血液でもある資本に重大な欠陥がある。高脂血症、高血圧、糖尿病に似ている。

身体を侵し始めている。

このままでは、本当に良い物も口にすることができなくなる。

でも糖尿病患者の多くがそうであるように、本当に病気が発症しないと生活を改めないし、それでも、改めるのが難しい人が多いのが実情だ。

世界も、気が付いている人はいても、きっとそうなのだろう。

 

 明道若昧、進道若退、夷道若縺

 

明らかな道は暗く見え、進むべき道は退くように見える。

まっすぐな道は曲がりくねって見える。

未知生、焉知死

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未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。

【 論語 】 先進

生きるということもいまだにわかってないのに、死についてわかるはずがない。

 

臓器移植法の改正案が国会を通りました。

世界は進むべき道を違え、人類の英知は後退していくことでしょう。

 

移植というのは誰かの犠牲の上に成り立っています。そして今現在移植でしか助からない多くの患者にとっても、全ての患者がこの犠牲の上の恩恵に授かれないことからも、過渡的な医術の一つであるべきなのに、脳死を人の死とすることで、移植医療に停滞、固執する環境を作ってしまいました。

 

そして、移植医療はさらに進化するでしょう。しかし、根本的な治療や発症を防ぐ医療の発展に危機感を持って取り組む姿勢が薄まる危険もあります。これは、今現在移植でしか助からないとされている患者にとってもマイナスであり、今後も出てくるであろう患者にとっても不幸なことです。今回15歳以下の子供の臓器移植が可能になっても、全ての患者が移植を受けられるわけではないのです。

それだけではなく、脳死を防ぎ、治療する医療の研究も疎かになることが最大の惨事です。

心臓病や様々な臓器を移植で死の縁から生還させる一方で、脳死を克服する医療がなくなってしまうのであれば、これは死ではなく生を天秤にかけたことと同じです。

 死を天秤にかけるのは簡単です。その時の生かせられるほうを生かせばいいのです。しかし生を天秤にかけてどちらかに死を与えるというのはしてはならないことです。そして、医療というのは、その病状で助ける助けないを決め付けてはならないはず。ならば死を克服するために、今移植医療でしか助からない人たちも助けるために、そして脳死をも克服するために人類の英知が試されているのに・・・。一部の良識人ぶっている人たちは、日本が立ち遅れているなどと言っています。僕は逆に日本が世界の最先端の議論を重ね、脳死を人の死と認めない意識が、医療の面からも脳死を克服しようという、さらに移植でなくても治療できる方法を研究しようという最良の環境にある国家だと思っていたのですが・・・。とくに小児脳死は今後の医療の発展で回復できないと言い切ることはできないはずです。

 

孔子は死や鬼神神霊のような知ることのできないことより、目の前の現実の問題に目を向けるべきと説いています。

 

そう考えると、脳死者からの移植を禁止しろとかとは思いません。現実問題として今現在では脳死を回復させる術は無いわけですし、移植をすれば助かる人がいるのも事実。脳死を人の死とするとかしないとかを議論するより、当面は脳死は人の死とせずとも、本人の遺志と家族の同意で暫定的に移植を認め、移植を必要としない医療の発展と、脳死を防ぎ克服する医療の発展がともに進む環境を整えるべきというのが僕の解釈です。

尊厳死も取りざたされているけど、尊厳死を検討、法制化するのであれば、脳死からの臓器移植の扱いも当面は当人と家族の同意を得た尊厳死者からの移植として暫定的に認めるというのも法整備をすれば可能かもしれません。つまり、尊厳死の枠に脳死を含ませて、本人と家族の同意で死を認め移植も可能とするというのがベストではないけどよりベターなかたちと思うのですが・・・。

 

脳死を人の死とすることが、移植医療と強く結びついて議論されていることに、強い違和感を感じているのですが・・・。いずれ、死の克服に向うべき医療が、死の幅を広げる法整備を望んだとしたら、遠い未来かもしれないけど、過去の魔女狩りや、地動説が巾を利かさせた時代のように、文明が停滞した時代として記されることとなるでしょう。

世界遺産 Ⅲ

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個人的に

世界遺産でもいいんじゃないか?とか

世界遺産も狙えたのに・・・もったいない。とか

あれが世界遺産ならこれだって!!

リスト

★世界遺産でもいいんじゃない?

 

★ インド アーメダバード 階段井戸

  ただの階段井戸じゃないんですよ!!中には大変な装飾が施された規模の大きな地下施設みたいな井戸もあるんです。世界遺産として検討すべき歴史的建造物。

 

★ インド アーメダバード ガンジーアシュラムと繊維手工業の文化遺産

  ガンジーが非暴力、不服従とインド手工業の復活でインドの独立運動を行った地。

  彼は当時宗主国のイギリスの服を着るのをやめ、自分の服をインドの綿で糸車を使って手作りした。在来の繊維工業を潰され、イギリスの繊維工業の従属的な立場になったインドで、独自の繊維生産や精神を復興させる運動の中心地。インドの国旗の糸車はガンジーのこの運動によるもので、実際にガンジーが暮らした質素な家に展示されていました。

  今では地産地消が盛んにいわれているけど、地域の産業を守ることがどれだけ大事か今の日本人やグローバリズムに傾倒している人たちが絶対訪れて勉強するべき地です。

 

★ スイス マッターホルンとその周辺の山岳リゾート

  マッターホルンがきれい。なのは当然ですが、巨大山岳リゾートとしての文化的価値があると思うのです。スイスは同様の世界遺産でユングフラウがあるわけですが、ツェルマットは国境に接し、国境をまたぐなかでの山一つ越えた文化的違いが極めて稀有と感じました。料理の味付けが違ったし、醸しだす雰囲気がスイスとイタリアは違ったんです。

 

★ 日本 岩手県 松川地熱発電所 日本初の地熱発電施設 近代産業遺産

   日本の地熱エネルギー活用の発祥地であり、巨大な冷却塔施設も現在では世界各地で失われ、創業時からの冷却塔が発電所の歴史も物語る。現在でも営業を続けながら、多くの施設が創業時から残る稀有な地熱発電所。

 

★ 日本 山形県 出羽三山の山岳信仰文化遺産

   山岳信仰の中心地の一つ。月山、湯殿山、羽黒山の山々で修行する山伏、国宝羽黒山五重塔なども有名だが麓の寺に安置される木喰即身仏に圧倒される。自然や人智を超えた驚異に信仰の強さで立ち向かおうとした昔の人々の思いの結晶として後世に伝えるべき遺産。

 

★ 日本 大阪府 大仙陵古墳 (仁徳天皇陵)

   周辺の古墳群と共になぜ世界遺産にならないのか不思議なくらい。一応検討はされているみたいだけど。世界遺産になってもならなくても絶対に後世に残すべき遺産。

 

△ 世界遺産も狙えたのに・・・

△ 日本 岩手県盛岡市 多様な橋と河川共存の歴史文化遺産。

   3本の河川が集まる盛岡市は、上の橋など古い橋から近代の様々な形状、設計の橋が立ち並ぶ稀有な景観が昭和50年代まであったが、現在はドブ板のような特徴の無い橋に取って代わられてしまった。盛岡城(不来方城)の河川に囲まれた城郭遺産も魅力的。盛岡城は復元するべき稀有な天守閣です。 

 

△ 北海道 函館市 函館山山麓の多国文化の歴史地区

  明治の開国以来、函館山の山麓には欧米各国領事館が置かれ、正教、カトリックなど多様な国の文化と日本の江戸末期からの文化、日本の近代化の中の文化的変遷が見られる建造物など極めて狭い地域に密集して見られる地域。和洋折衷の民家なども見られるが・・・。長崎や横浜との違いは、とにかく狭い地域に寺、神社、カトリック教会、正教会、各国領事館、公会堂と旧南部屋敷(箱舘)の石垣、和風商家、和洋折衷の民家、昭和初期のデパート、銀行など建造物が密集混在していたこと。

  中華会館が閉館したり、マンションが建ったり、昭和初期の建物が老朽化したり、今手を打たなきゃ価値はどんどん下がる遺産。もう無理ですね。

 

△日本 岩手県 南部曲り屋

  これも、機能する集落としては失われてしまったので、残念ながら世界遺産を狙うことはできません。岩手県全域に曲り屋形式は見られたのですが、最近は観光施設以外では見る機会も減りました。残っていても茅葺ではなくてトタン張りで馬はいなくなっているとところがほとんどです。残っていたら白川郷と並び称されていたでしょう。

 

△日本 岩手県 釜石橋上市場

  失われた近代遺産の一つ。

  法や規制が地域の特色ある文化、なにより生活様式を破壊し地域経済を疲弊させる一方で、近年の大型店舗になすすべも無く、商店街に無駄に補助金を注ぎ込み続けるなかでの悲劇的遺産の消失。

 

△北海道 明治から昭和初期の開拓遺産

  日本が世界に通用する近代国家に変化していく過程の輝きと影が、開拓の土木建築という形で残っている北海道は世界に通用する遺産として価値があると考えてますが、残ってはいるけど、ただの観光地でただの観光資源でしかないことを考えると、先人達の苦労はなんだったのか?と少し暗い気持ちになります。

  稚内の北港防波堤などは極めて価値の高い遺産。

  稚内はこの遺産がきちんと活かされるような港湾振興を考えるべきだし、道内の全ての開拓時代の遺産同士の繋がりを意識した活用がされればもの凄い産業振興になるのだろうけど・・・。

 

まだまだいろいろあるけど、とりあえずです。

自然遺産の世界遺産登録はあんまり好きではないので、書きませんでした。

東北地方の縄文遺跡も素晴しい遺産ではありますが、たぶん、今発見されている遺跡より類稀なものが地中に埋まっているはずなので、これも今登録を目指すべきではないだろうなと思います。  

茂林之下

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茂林之下無豊草、大塊之間無美苗。

『 塩鉄論 』 軽重

林の茂みの下では草も増えず、大きな土の塊の間では苗もよく育たない。

 

国家権力が強すぎると、人民が消耗してしまうことを例えた一文。

まったくその通りで、現在でも国の力が強いと、国民の生産能力や資産を越えた大きな負担を強いるような国家予算を組んでしまい、しかも、その予算は国民の身近な収益に関わる事柄よりも、大きな影響力のある国家間や大企業だけが利する事柄に使われます。

現在は景気が後退期で多くの失業者が続出し始めているわけですが、米国にしても日本、その他の国でもそうなのですが、賃金そして消費が落ち込む前に、多くの労働者の一斉解雇がはじまったわけです。それは、投資家のご機嫌を損なうことがないよう、そして景気が後退することを前提に事前に人員を整理する行動なわけですが、以前も書いた通り、大企業にとって人材や自分の作っている商品ですら単に金融の一商品と同じように見ているわけで、その点スピーディーに売買がしやすい派遣労働は企業としてはとても使いやすかったということなのです。

話が逸れましたが、そのような企業が景気後退を後押し、後押しというよりは足の引っ張り合いで、結局、景気がいよいよ後退、どうしょうもなくなってくると国家がどうにかしてくれるだろうと、思い込んでいるわけです。

そして、その国家もどうしょうもない政策を実行してしまうのですが、なぜか日本人というのはまったく怒りも悲しみもない国民性でとっても不思議ちゃんなのです。

考えても見てください、多くの貴重な労働者が職を失い、日々の生活の糧を失いつつあり、そしてさらに消費が落ち込む中、さらに多く労働者が明日の不安に惧れを抱いているのに、余裕のある家を買うことができる人々が住宅減税と超低金利の恩恵を受けるのです。そして、彼ら余裕のある人々が受けた恩恵をプラスにして、やっと景気が良くなって、職を失っていた労働者が職場に戻る、そのときにその彼ら金持ちが受けた恩恵分もプラスした大きな増税で大きな負担を強いられるのです。不景気を招いた投資家連中が、この不景気の最中でも減税や低金利で恩恵を受け、その分、やっと良くなってきた頃に、一番大きな負担を強いられた人々が引き続きの負担を背負わなけらばならないのです。

そして、経済上の政策を優先し、投資家や大企業だけを保護し、見せ掛けの繁栄を維持しようとしています。

常識的に考えるなら、伸びすぎた林は間伐をし、十分成長し多陰を作る悪木は新しい木々を育てるために伐採するべきなのです。

 

高山之嶺無美木、大樹之下無美草

『 説 苑 』 説叢

高山の嶺に美木なし、多陽に傷なわればなり、大樹の下に美草無し、多陰に傷なわればなり。

世界をリードする経済大国となってしまったが故に、過剰な資金(円買い)による円高を招き、まさしく『高山の嶺に美木なし』状態の日本。気がつくとビック3とういう巨樹の他に傑出した自動車メーカーが無い、大樹3本のせいで後続メーカーの無い米国自動車業界。

大樹となった大企業でありながら国民の繁栄を損ない投資家を優先するようなところは、直ちに伐採し、新しい苗を植えたほうが、多くの国民に新しいチャンスを与え、希望と夢の溢れる国家を作ることができるのです。

もちろん投資家も、新しい小さな苗から育てて大きな利益を受けるという健全な資本主義の恩恵も受けられるわけで、大樹が腐って倒れる前に(資産価値があり使える部分がたくさんあるうちに)伐採し、その資産を水や肥料代わりに企業を育てたほうがこの際、手っ取り早い気がするのです。

米国民の多くがビック3の破産もやむなしという考えを持っているというのは、米国民性のチャレンジ精神が、きっとこの難局をも乗り越えることができるという自信の表れだとも思うのです。

ビック3という巨樹、そして今までの米国政府という巨樹が、倒れたり小さくなって、国民に燦燦と日が降り注いだ時、米国に新しい力強い苗が再び育つことは、彼の国民性から考えても間違いないことでしょう。フロンティア精神溢れる解雇された労働者と健全な投資家はたぶん雨後の竹の子のように、独創的な商品を作る企業をたくさん生み出すことでしょう。もちろん自動車も幾つものメーカーが競うように世界中に出現することでしょう。そのとき、図体ばかりでかい日本の企業が逆に今までのビック3のようにその巨躯を持て余して躓くことも考えられるのです。

まあどうなるか毎日、経済ニュースから目が離せません。

法三章を!!

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尊敬する歴史上の人物は何人かいるけど、その中でも上位十人に入るのが漢の高祖『劉邦』。

中国史に於いても秦の始皇帝ではなく、劉邦がもっとも人気があります。それは部下や人々の意見をよく聞いた劉邦の性格もありますが、何よりも苛烈を極めた秦の法令を『法三章』で言い表すほどの簡易なものに変えたのが人々から大きな支持を集めているというのも理由の一つです。またその法三章の精神がきっかけとなり天下統一、漢帝国の安泰にも繋がったのです。

法三章といえば『殺人・傷害・窃盗』のみを刑罰の対象としたと思われていますが、実際には秦の膨大な法令や規制を簡素化し、人民にわかりやすく、且つ例外無しに守らせたことで、治安を守り、不正を正し、経済を活性化した功績を法三章という言葉で表わされています。

実はこの簡素な法令こそ極めて有効な手段であり、今の世界に必要なことなのですが、世界中の人々は法令が煩雑であればあるほど、規制が多ければ多いほど人々の安心と高い文明を維持できると勘違いをしています。法令や規制が多ければ多いほど高い文明社会だと勘違いをしている人々が多いのです。

 

法が簡素で少なければ例外はありえません。

窃盗は契約違反も含みます。本来受け取れますと約束していても受け取ることができなければ、これは窃盗です。もちろん、食品の表示や原材料を偽装し、多くのお金を騙し取る行為も窃盗です。

たとえ国家組織であろうと処罰の対象となります。

受け取れるはずの年金が受け取れなければ、窃盗です。

表示を偽装し販売し不当に金銭を取れば窃盗です。

人が人によって死亡させられることは殺人ですから、交通事故も、戦争も、人為的な死は全て殺人です。戦争も相手が攻めてきたなら、この法を適応し処罰行動として応戦すればよく。軍人がこれを逸脱し処罰行動としての応戦以外に人を殺せば同じく処罰すればよいのです。

食品に危険なものが混じり、人を傷つければ傷害です。

このような簡素な法で一罰百戒を通せば、もっとも安心安全な国家が実現します。

様々な法令が多額の人件費をかけてつくられ、表示を検査するために膨大な費用を掛け、表示を徹底するため個人事業者や中小企業はものづくりができず、儲かるのは検査会社と監督官庁の職員だけ。経済も疲弊し、まるで法令の独裁国家のようになっています。

法治国家とはいっても、その国を統べる法令の全てを知っている人間は弁護士や国会議員を含め存在するのでしょうか?そもそもすべての人に平等に守り守らせる国法にも拘らず、すべての人が全てを知ることができないほどの膨大な法令になってしまっています。法が肥大化して、例外ばかりが生まれ、賢い人間は法に触れなければ何をしても良いという言う風潮と同時に、逆にそれをさらに規制しようと雁字搦めに法や規制が溢れ、法の全てを知らない一般市民は何をしても法に触れる世の中になっています。

ちなみに、カッターナイフでも明確な職用としての目的を持たずに所持しているだけで法に触れます。

つまり、普段釣りに行く時に所持しているナイフも車に入れっぱなしにしていて検問なんかに引っかかると銃刀法違反に問われかねないのです。

一枚の服を作って売るだけでも、堅牢度検査、検針、品質表示、原産表示などタグと検査など、手づくりで物作りをしているところほど不利な規制に溢れています。

ホテル業も資本力があって同じ設計で全国に建てているところほど、規制上でも有利です。耐火、防火建材の検査など一括で済んでしまうからです。

国法による規制というのは、全国展開できる大手企業に有利で、実は地方経済や中小、個人企業を圧迫しているのです。

にもかかわらず、地方自治政府はすべからく国に規制強化を求めたりと、実態からかけ離れた政策を展開し、さらに市民も現実に起きていることから目を逸らし、カッコイイ言葉や上辺だけの美徳に酔いしれてより強い規制を求めています。

本当に恐ろしい世の中です。

そもそも法をよく網に例えることがありますが、それ自体がおかしいのです。

悪事はたとえ小さくても許すべきではなく、逆に悪しきこと以外は自由に行われるべきなのです。

ただそれだけのことなのに、政治家は競って法令を作り、官僚も規制を作って自分たちの仕事と権威を高めようとしています。

簡素な法令と公正明大で仁義礼徳に篤い司法によってこそ平和で持続的発展の望める正常な国家を作ることができるのです。

国法こそ簡素で誰もがわかるものにしなければならないはずなのに・・・。

金融だけでなく全てが破綻するまで気がつかないのかもしれません。

 

 いまは国民主権だから、そのうち自分の定めた法と規制で股裂き刑になった秦の商鞅のようになるのかもしれません。

 秦の商鞅については、今の日本や世界が向おうとしている世界を垣間見ることができる事例なので後ほど書いてみようと思います。

世界遺産 Ⅱ

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ちなみに僕が行った世界遺産の感想。

星の数は全く個人的な評価です。 

★★★オーストラリア ブルーマウンテン

  ユーカリの油分が揮発し大気が全体に青み掛かって見えることからブルーマウンテンと呼ばれているらしい。初めての海外旅行で、初めて大陸の雄大な景色を見たのがここだったので、とても感動したのを覚えています。ふつうの観光ツアーで行ったので感動した面白かったという以外に具体的な感想はないのだけど・・・。

 

★オーストラリア シドニーオペラハウス

  最近世界遺産になったらしい。行った当時は世界遺産ではなかったし朝早く空港について休む暇なく連れて行かれたところなのですが・・・。

  確かに美しい建物だけど、美的なことだけで世界遺産になるのかなー?

 

★★★★★インド タージマハル

  建物の外観が素晴しいのはTVで見るとおりで普通ですが、内外の大理石の壁面に無数に施されている宝石や輝石の象嵌がとにかく素晴しい。周辺の工房で大理石細工や象嵌を見学したけど、大勢の職人が作り上げたのだと思うと、インドの手仕事の素晴しさを再認識させられました。インドの手工芸の集大成的な意味でも価値のある建造物。

 

★★★★★インド ファテープル・シークリー

  タージマハルの次に訪れた世界遺産で、赤い砂岩を削って作った建造物群に圧倒されます。

  全体の大きさもすごいですが、なにより赤い砂岩を薄く加工し、細かなレリーフを作っていること。その細工の細かさにビックリです。

  遺跡は丘の上ですが、麓にはいまでもこの赤い砂岩を建材として加工している村があり、子供からお年寄りまで石材業に従事しています。ちなみに、ズルをして型を作りモルタル製のレリーフに赤い塗料を塗っているところも見ました。

   

★★★★★ペルー マチュピチュ

  これほどTVの通りな風景は初めて。TV以上でもTV以下でもない。まったくその通りの風景。それはTVでも十分その神秘と古代インカのロマンが伝わるから、現地を見ても同じように感じるからだと思う。(途中の電車でさんざんマチュピチュのPRビデオを見せられたせいかも?)

  でも、TV通りとはいっても、その風景の中に自分もいると思うと、もの凄い感動に襲われます。

 

★★★★★ペルー クスコ

  ここはよかった。まずインカの石組みの素晴しさは以前からTVで知っていたけど、その現物に触れてみて大きさや正確さを実感しました。とにかく鉄器がないのに不思議です。世界中でこれほど人々に見つめられる石組みは、こことエルサレムの嘆きの壁だけじゃないかな?

 

★★★ペルー リマ歴史地区

  滞在時間が短かったことと、体調が悪かったのでちゃんと見れなかったけど、古い石造りの大きな建造物に細かな細工の施された真っ黒な木製のバルコン(バルコニー)が印象的でした。

 

★★チリ バルパライソ

  港町で急な坂の多い街。古い家がひしめき合って、急な小さなケーブルカーが崖下と上とを行交っている。面白い街だけど世界遺産だとは思って見てませんでした。

 

★★★★中国 万里の長城

  一度は見て損は無い。一般観光客向けは明代の長城だが、見ごたえは十分。

  中国の人民の力を思い知らされる建造物。観光客の多さが逆に「これだけ人がいたら出来るだろうなー」と納得してしまう。

 

★★★★★中国 故宮(紫禁城)

 とにかく広い。その建造物の広さ大きさもすごいが、建造物の細部や宝物の細工が素晴しい。歴代皇帝が全国から優れた工芸品作らせ集めたことを考えると、中国の伝統工芸の素晴しさを実感できる。逆にこういった上流階級の優れた工芸品のコピー商品がたぶん昔から作られていただろうと思うと偽物文化も伝統化してるのかな?と思ってしまう。

 

★★★★★姫路城

 僕が行った世界遺産では最上級の世界遺産。個人的に城郭が好きだったこともあるが、国内外でこれだけ壮麗な高層木造建築はないでしょう。天守の質実剛健な構造がわかりやすく、すばらしい。

 国内の城郭では随一。ちなみに個人的ランキングでいうと当然1位は姫路城、2位は松本城、3位は熊本城。

 国内の世界遺産では文句なし、世界的に見ても当然の世界遺産です。

 

★白神山地

 たしかに自然は豊かだけど・・・・。

 世界遺産になる前に何度か行ってるけど、素晴しいことはわかるけど・・・

 世界遺産になってからただの観光地、しかも規制があったり妙に開発と保護のアンバランスばかり目に付く気がする。

 

★★★★白川郷・五箇山

 たしかに合掌造りはすごい。

 ただ、ここを世界遺産として考えるなら、国内各地の特徴的な村落がどれだけ消滅してしまったのかを思い知らされます。岩手も曲り屋が村落集落としてちゃんと機能しながら残っていたなら?福島や山形、津軽の村落も残っていたなら、白川郷も世界遺産になることはなかったと思う。

 残すべき文化が僅かそこにしか残存することができなくて世界遺産になったというなら、逆説的にそれしか残せなかったということだから日本の恥ずべきことなのでは思うのです。

 

★★★★法隆寺

  写真で見ると、派手さはないし、華美な装飾もないし、一見すると地味な普通の寺にも思えてしまうけど、仏教が伝来して直後の現存する最古級の寺の様式であることを考えると、普段見慣れている寺の祖ともいうべき建造物。だから驚きとかの感情が湧かないのだと思う。実物は観光客が多くても建物の落ち着いた佇まいが心を静めてくれるような感じがします。世界遺産として当然の建造物。

 

★★★★★奈良

  東大寺含めて全般に当然の世界遺産。言うこと無し!!

  私は日本の文化を紹介するなら京都より奈良を勧めます。

 

★★★京都

  世界遺産に指定されてい個々の寺社は素晴しい。世界遺産に限定していうと文句なしだけど、逆に寺を一歩出て町に出てしまうとそのギャップにものすごく辟易してしまう。

 

★★★★★原爆ドーム

  負の世界遺産だけど、絶対見るべきもの。これも世界に類を見ない当然の世界遺産。

 

★★★厳島神社

  海上の建造物も面白いけど、宮島そのものが楽しめます。

  日本人独特の観光スタイルの寺社仏閣詣プラス観光とお土産を楽しめる地。

   ある意味で江戸時代からのこのような観光スタイルも文化的遺産だと思う。

 

★★★★★首里城 玉陵(たまうどぅん)

  中国文化と日本文化が混然となったようなとても興味深い遺産。

   世界遺産としては当然クラス。

 

★★★★日光東照宮

  徳川家康を祭る壮麗な社殿。建物至る所に様々な動植物の彫り物があり、しかもそれぞれに意味があるという。これは見ていて飽きない。

  世界的に見ても、一つ一つの装飾が意味を持って、しかもそれが多様である建造物は他に無いのではないでしょうか?

 

★★知床

  確かに素晴しい。けどそれは国内に限ったことで、世界的に見て本当に他に類を見ないのか疑問。個人的には北方四島の国後、択捉、さらにそこから続く千島列島のほうが知床以上の稀有な自然が残されている可能性が強いし、類似点も多いのでは?と思う。

 

全く個人的な感想評価なので人によっては、全然違う感想を持っているということもあると思います。

ただ、その人によって受け止め方の違う、世界中の様々な遺産を「世界遺産」という一括りで考えてしまってよいのか疑問です。世界遺産であれば人類共通の遺産として残していくのは当然ですが、これからの人類の歴史で新しく後世に残そうと作られるものや、どこにでもある(あった)けど、失われつつある、野や荒地、河原、民家、人とと自然や様々な境界線上でマッタリとユッタリとあったものがどんどん失われていることも目を向けなければ成りません。

そう考えると、シドニーのオペラハウスの評価は高くても良かったかもしれないけど・・・。

でも、本当にそれが残す価値があるかどうかは、シドニーの人たちの文化の中で活き続けることができるかどうかで決まるのですから、まだ新しいうちに世界遺産になるのも考え物?

白神山地と知床が僕の評価では低かったのは、白神や知床だけが別格に扱われることの是非、そして、自然保護と人間生活の境界が法や規制、施政によって線引きされることの危険性を疑問視してのことも理由の一つです。

いずれにしても、世界遺産に限らず、多くの自然と人の営みが看板や法や規制に縛られず自然と続くことが一番大事と思うこの頃です。