入其国者、従其俗

 【 淮南子 】 斉俗訓

他国に入るなら、其の国の習俗に従う。

「郷に入らば、郷に従え」が有名ですが、この続きがよいのです。 

是故入其国者从其俗,入其家者避其讳,不犯禁而入,不忤逆而进,虽之夷
狄徒倮之国,结轨乎远方之外,而无所困矣。

「他国に入ったなら其の国の習俗に従い、

其の家に入っては諱を避け、禁を犯さず入り、逆らわないで進めば、

異民族の国へ行って、遠方と輸送路を結んでも、困るようなことはない。」

大体こんな感じの訳でしょうか。

 

チベットに於いても、昔から多くの民族が往来していました。

青海省には有名なシルクロードも通っています。

シルクロードといえばNHKの番組で、青海より北の河西回廊の敦煌を通るルートが有名ですが、同じかそれ以上に青海省を通過するルートも重要だったのです。

有名な文成公主もここを通り、青海湖からチベット高原へ入り吐蕃王国へ嫁ぎました。

文成公主は唐の太宗の時代、皇帝の娘ですが、シルク(蚕)を国外へ持ち出したことで有名です。

唐の皇帝の娘ですが、チベットでは観音菩薩の化身として崇められています。

昔からチベットは重要な交易路が幾つも縦横に走っていました。

最近、話題の茶馬古道もそうです。

大昔から、反発や騒乱、戦争は幾度もあったのでしょうが、それでも、商人や隊商、玄奘三蔵のような僧侶や旅人達は、通過するそれぞれの国や民族の異なる習俗や誇りを大切に、且つ、それも旅の楽しみや勉学の一つとして、少しずつ信頼を得て、道を切り開いていったのです。

 

いま、僅か数年で青海チベット鉄道が開通しました。

多くの人々がチベットの文化や自然に魅せられて、訪れる機会がせっかく得られたのに、チベット人の誇りや文化を虐げるような、中央の資本が一斉に入り込んでしまいました。

それまでの漢民族や清真の商売人たちが長い時間をかけて築いてきたチベット人との信頼や文化の交流も無にしてしまうような、勢いで開発されて定住化や農場化を押し進めています。

 

近代化の名の下に、郷の人々を抜きに開発を押し進める手法は、観光産業のうえからもマイナスでしかありません。

日本も含めて先進国の多くが、観光資源となりえる多くの地域文化を失いました。

せっかく、チベットの自然の中で暮らす人々の文化や習俗に触れることを楽しみにしているのに、大きなホテルやロープーウェイなどまるでテーマパークのような観光施設を作ろうとしています。

旅の楽しみは、リアルにそこで暮らしている人々と触れ合える、そのときに、現地の人が自分たちの暮らしを誇りをもって、旅人を心から歓迎してくれるような、政治、経済環境が整えることが体制に求められることなのです。

しかし、グローバリズムによってその地域や地方の文化、経済は大きな打撃を喰らっています。

そして、その反動でグローバリズム反対、過激な地域主義、民族主義的思想も台頭してきました。

世界中で民族紛争が激化していますが、大半が経済格差(とくに資本力の差)から発生しています。

民族や宗教の違いは、精神的拠り所としての旗印的なものとして使われているにすぎないのです。

グローバル化社会でも、少しでも地域や地方で活動する場合「郷に入っては、郷に従う」姿勢があったなら、その反動も和らげることができるのに・・・。

結局、グローバル企業や中央行政府がその地域ごと民族ごとに、製品や商展開、施政を変えていては無駄が多く、グローバル化とはいえないからなのでしょう。

そう考えると、グローバル化と地域の文化と経済の存続は相容れないものなのでしょう。

だからといって、過激な民族主義や宗教に名を借りた暴力を肯定する気持ちはありません。

世界の政治と経済が権力や資本力ではなく、シルクロードの時代のようにそれぞれの国が地域の社稷を守り、人と人同士の努力と信頼の交易が大によるところになれば良いのにと思うのですが・・・。

 

中国だけでなく、日本も、世界中の政府とグローバル企業には地方に対しては 『 入其国者、従其俗 ・・・ 』の通りの政策を期待したいものです。

不便の条件

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ここ数年、自然保護が叫ばれていますが、その一つに一部の山岳道路の開発中止や、車両規制の動きがみられます。

 

自然保護活動家の中には、国外の様々な事例から車両の規制や交通の便の悪い地域でも大きな観光収入を得ている地域もあることを紹介し、これら不便を強いられても経済的ダメージは少ないと論じています。しかし、この主張には決定的に抜け落ちている部分があるのです。

 

確かに交通の便の悪い地域でも世界的に有名な観光地やリゾート地は数多くあります。その中でもあえて道路整備を行わない地域もあるのですが、その地域に共通するものがあるのです。

 

それは、地域や地元民の権利が非常に強力だということです。

 

例えば、世界的にも有名なペルーのマチュピチュ遺跡。

マチュピチュ遺跡に行くにはペルーの古都クスコから、ふもとのアグアスカリエンテスまで移動しなければなりませんが、基本的に鉄道しかありません。

鉄道でアグアスカリエンテスに着くと、そこからはバスでの移動になりますが、ここまで道路がないので、遺跡までのバスは全て地元民の運営するバスです。

地元の人も道路の開発は反対です。なぜなら客が増えても外からバスが入ってきて客を奪われるからです。

同じ理由でロープーウェイなども歓迎しません。

完全な地元独占市場になっているのです。

またクスコでは観光バスには必ず地元民をガイドとして乗せることが義務付けられてます。

観光資源が地元民のものであるということを地元民も国も訪れる観光客も理解している結果で当然のことなのですが、今の日本人や中国人には理解不能なはず。

グッバイボーイたちの活躍がとくに面白く、子供のうちからマチュピチュが大切な自分たちの資産であることを実感できるのだと感心しました。

 

もう一つはよく車両規制の引き合いに出されるスイスのツェルマット。

ツェルマットは特に成功の実例としてあげられているけど、基本的に経済構成まで含めた解説がなされることはほとんどない。

僕も一度行ったきりなので詳しくはわからないけど、ホテルやレストラン経営に関して親族経営が多いように見受けられる。大手ホテルもあるが、町全体では一つのポイントとして存在しているようで、圧倒的に地元経営の施設が多いようだ。車両による大量アクセスが制限されていることも大規模ホテルの進出を阻んでいるように見えるが、山岳民族特有の地元意識が外の資本に関して本当に地元に益のある企業しか入れないという姿勢がありありとみえる。

地元意識は随所で見られる。地域の固有の文化とそれを支える地域経済の権利が法的にも制度的に認められている連邦国家ならではの繁栄と思える。

ちなみにスイスの市町村の数は2800を越える。

同じ面積で同じ人口の東北六県はいまいくつの市町村になってしまったのだろうか・・・。悲しい現実。

 

アメリカの自然公園の中には地元の元林業従事者がガイドになる優先があったり。

イギリスの世界遺産の炭鉱だったかな?確か地元出身の成人男子のみが採掘権を有するといったところもあったはず。

 

では日本で同じようにアクセス不便な観光地が自立的に成り立つかというと、答えはNO!!

 

なぜなら、観光資源の地元帰属意識が住民も観光客も行政も希薄なので、地元の権利を主張できない。また、そういった特定の地域の利権のみを主張できる法的根拠もない。平等主義と自然については特に、みんなのもの意識や国家資産意識が強すぎて、外部資本の流入を制限し、地元が独占することはできないのです。

みんなのものだから規制は一律。

入っていけない場所は地元民も入るな!!

開発してイイ場所は地域の外の資本にも平等に機会を!!

結局、資本力のある大企業が流行で開発して、客が来なくなったら使い捨てのように撤退する。

 

例えば、国内の山岳自然遺産も

・山岳道路に接する地域に居住し本籍を有するもののみ旅客運送を認める。

・国立公園内に於いては接する地域の居住者のみ営利活動を認める。

・地域の居住者以外の山菜の採種及び狩猟を禁ずる。

・ガイドは地元居住者以外は登録制とし、ガイド料は地元居住者ガイドと協議して決定する。

最低限上の条件であれば、地元民も車両規制大賛成が多くなると思うし、地元民が自然資産から収入を得られれば大きな誇りに繋がるのですが、現実には運輸に関してだけでも2種の取得や営業車両の様々な規制や検査で地元民が個人レベルで独占的旅客運送をするのは絶対的に不可能なのです。

まして、合併で地元範囲が広くなりすぎている。

 

マチュピチュ遺跡は世界的にも有名で、何もしなくても観光客が来る場所だからという主張もありますが、逆に世界中の人から注目を浴び、世界的な遺産であっても、地元の権利が強力に認められていることに注目して欲しいのです。

 

マチュピチュほどでもないヨーロッパアルプスのリゾートでも、アメリカの国立公園でも、日本と中国を除くほとんどの国と地域は観光地のでの営業権は地元優先なのです。

ただ中国ですら九寨溝内の商売については地元チベット人に限定(放牧を禁止した代わりに)してますが、バス運行やリフト運行までは任せてないようでそれは少し残念です。

中国のことをいうと、万里の長城の上でたくさんの人が商売をしていましたが、僕はとても面白く、日本よりは自由でいいなぁーと感心しました。たぶんしょば代が掛かってるんだろうけど。

 

日本の税金で販売施設を作ったはいいけど、地元のものが売れないので中国製のオモチャやお土産を売っているような状態よりは、遥かにイイと思えるのです。

 

利便性の高い地域に暮らしている人々が

そうでない地域に不便を強いるなら、

権利という対価で支払うべき!!

 

自然が資産というなら、その益を地元へ!!

 

自然が未来永劫守られることを望むなら

それを守る地元民が

そこから生活の糧が得られる制度を!!

 

例えば僕なら早池峰山のマイカー規制について、

地元の民宿の送迎車両および地元施設の車両のみ運賃営業を認めるようにするけど。

いま、旅客運送の規制では宿泊施設が旅客運賃をとって営業することを認めていないけど、車両規制地域に関してはその不便に見合う対価として地元への運賃営業権利を認めるべきだと思うのです。

どのような権利が良いのか、それは権利を求める地域によって異なるし、その違いが地域の特色となり利益に繋がるのです。

やっぱ横並び主義の日本には向かない制度ですね・・・。

不便というのは、権利という条件によっては十分に美味しい話なのですが、日本人には縁遠い話かもしれません。

一罰百戒?

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北海道で起きたひき肉偽装事件の裁判で一部の報道が『 一罰百戒 』という言葉を使って、社長に重い刑が言い渡されたと報じていましたが・・・。

『 一罰百戒 』

どこの出典かはわからないけど、

・刑一而正百、殺一而慎万。

   『 塩鉄論 』 疾貪

・殺一以懲万、賞一而勧衆。

   『 群書治要 』

・賞一以勧百、罰一以懲衆。

   『 文中子 』 立命

の3つが似たような意味と思います。

 

もし、これらが出典だとすると、かなり作者の意図するところと違う意味で使ってしまっている言葉だと思います。

 

これら3つの云わんとするところで、重要なのは『 一を刑する 』・『 一を罰する 』・『 一を殺す 』の『 一 』を指すのが何かということです。

この3つは治国の基本を述べていますが、『 一 』は実を言うと王族や側近など影響力のある人物を指しています。

当時は法をいかに守らせるかということに重点があったのですが、その法を歪めて守らなかったのは主に王族や側近たちでした。

しかし、王族や側近達が法を守らなければ、民も法を軽んじて法を守るものがいなくなってしまう。そこで、王族や側近といえども法を犯せば刑罰は逃れることはできないと示し、民にも法の遵守を促したのです。

上の言葉に倣い、兄弟や息子でも罰した王もいましたし、側近中の側近を罰した例もあります。一番有名なのは『 涙を揮いて馬謖を斬る 』諸葛孔明などです。

 

『 一 』は現代に置き換えるなら、政治家や上場大企業でしょう。

 したがって、北海道の一中小企業の社長を罰しても『 百戒 』にはならないのです。

もし検察が意識的に立件し、裁判官が上の言葉を使ったとしたなら大問題です。

法の下の平等もなく、地方の庶民だけは重い刑罰を与えるが、大企業は影響力を考慮して甘い処罰で済ませるとしたら、『 一罰百戒 』とは逆の行為なのです。

 

しかも、毎度毎度北海道が最初の『 一罰 』のターゲットにされていること。

不思議でしょうがないですね。

北海道拓殖銀行は潰されるは、リゾートの相次ぐ破綻、雪印、白い恋人、ひき肉、鈴木宗男、夕張・・・

同じような事件や事柄でも、中央の大企業なら数日の営業停止や謝罪、経営の交代、辞任、政治家も辞任やいろいろな画策で、うまいこと切り抜けられるけど・・・。

 

これで北海道の民族が違っていたら大変な問題になっていたと思うのですが・・・。

民族が同じということが、地方にこれほどの無関心を根付かせるのかといつも考えさせられます。

 

皮肉ですが非暴力でしかもなんの要求も改善も求めない北海道民にぜひノーベル平和賞を授与してもらいたいものです。まあ日本人全員がノーベル平和賞向きですね。

文化の死の影 1

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ここ数日、ひじょうに怒っているのですが・・・。

チベットで騒乱が起きてこのブログをはじめましたが、肝心のチベットについて投稿しようという気が起きません。書いてはいるけど、いざ投稿する段になると、とても過激であったり、まるで無限ループのように理論が同道巡りをしたり・・・。

チベットで起きていること、そして世界中の地方で起きていることと、自分の身の回りで起きていることの本質は同じなのですが、とても大きな問題で何から書いたらいいのか手の付けようがないのです。

多くの人がチベット人が抑圧されて自由が奪われていると思い、少し事情通の人がチベットの資源が奪われ、チベットの生活文化が破壊されていると主張しています。正確には後者のほうが現実ですが、苛酷な地のチベットでは資源の確保のため土地を追われたり、それまでの生活文化が奪われるという事が、即座に生命や地域の崩壊に繋がりかねないので、抑圧されていると感じる感じ方も、我々先進国の地方の比ではないというのも事実です。

亡命中のダライ・ラマも 『 文化的虐殺が起きている 』 と声明を発表しましたが、まさしくその通りなのですが、当の中国の漢民族といっても特に中央の上海・北京を中心とする急激に増加した富裕層はその実感は全くないのです。

これは、中国人だからとか、共産主義だからというのは関係ありません。

植民地の宗主国の国民の多くがそうであったように、

「我々の税金を使って立ち遅れた地域の社会基盤整備をしてやってるのに!!」

「高度な技術や社会システムを無償で提供し、医療や教育の水準を上げるための努力をしてやってるのに!!」

「安く品質の高い品物を供給してるのに!!」

枚挙に暇がありませんが、現在の中国国民の多くはチベット人を決して抑圧してるとか、弾圧しているという実感はないのです。これは、日本人だって中国に対してそうであったように、大凡世界中の少し影響力のある国は少なからずあることなのですが・・・。

このことはダライ・ラマも中国の漢民族やその他の民族のことで、決して悪く言っていないことからも、たぶんよくわかっていることなのだと思う。

 

チベット自治区のポタラ宮前に某有名ファーストフード店が出店したそうだけど、すぐに僧侶を中心とするデモが発生したと聞きました。今回の騒乱以前の話です。ちなみに世界中にあってアメリカが発祥の鳥唐揚のお店だったかと思います。

この話を聞いた時、

「たぶんこれからも起きるだろうな」

と思ったのを思い出しました。

それと同時に、そんな風に世界中の経済や文化を支配したがってる国民が、今回の騒乱で偉そうに中国のことをこれだけ批判できる資格があるのか?とも思ったのですが・・・

そういえば一番聖火リレーで大騒ぎをした、離婚してすぐ再婚した大統領の国だってベトナムで同じことをした過去があるのです。たしか当時、東洋一の橋をベトナムに建設して、米の流通を牛耳って植民地経営をしたり、別の国では農業機械を売り込んで大儲けをしたり。植民地の少数民族を花の都に集めて大博覧会をしたり。1回目の大戦争でだましてつれてきて兵士として使ったり。

もちろん過去の日本だってそうですし、現在の日本だってチベットを哀れみ、中国を批判する資格はないと思うのです。

そして国家と国家、民族と国家、民族と民族の間でだけで起きている問題ではないのです。

私達の身近にもある問題で、しかも、同じ民族、同じ国家であるぶんたちが悪いのです。

ハッキリ言って、

チベットでは『 文化的虐殺 』が起きていて、

日本の地方では『 文化的自殺 』が起きているのです。

一軒のファーストフード店が原因の全てではなくても、それでデモや騒乱が起きるくらいの民族的誇りがあるチベット人は健全といえますが、日本の地方はどうでしょうか?

地元が挙って誘致した新幹線駅の駅前の店舗。看板を見るだけで、いかに地元企業が減り、中央支配が進んだことか。

チェーン店のスーパーや大型ショッピングセンターが増える一方で、地域の小さな商店のいくつが姿を消したでしょうか?

経済だけではありません。あらゆる分野で中央支配が進みましたが、誰も気に留めません。それどころか、より中央に近づこうと地域の固有のものを切り捨てていきました。

今もこの傾向が強いです。

あらゆる資源を中央企業に開発させ、譲渡し、あるいは企画料を巻上げられ、誘致企業やバイパス建設に熱を上げる一方で、地域の潜在的資本力はどんどん減少しています。

地域経済の死は、やがて生活を含めた文化全般を死滅させ、中央の文化に侵食されるのですが、それを、地域の人々自身がそれでよしとしているのですから、『 文化的自殺 』です。

もう少しわかりやすく解説しましょう。

 

【 社会基盤の脆弱な地方に 

   中央の経済的に豊かな場所で得た税金を投入して整備を進めましょう。 】

       ↓ 

一、高速交通網として鉄道を整備しましょう。

       ↓

一、建設要員は地元雇用、下請企業も起業します。

  ■しかし、あくまで労働者です。建設費用のうち企業の利潤の分は中央に還元していきます。

  ■建設終了と共に労働者の職はなくなります。

  ■地元企業が中央から買わされた技術や専用の建設機械は工事終了と共に用がなくなり、支払いだけが残ります。

       ↓

一、高速交通網が整備され駅ができました。

  ◆資本力の強い中央のホテルが進出してきました。

  ■地元は社会資本が脆弱=経済の資本力も小さいので駅ができてもすぐに開発はできない。

  ■資産が少ないので融資を得られなかったり、得られても中央の企業より少ない。

  ■高速交通網が整備されることで、店舗数の多い企業が効率的に展開でき、地元店舗のみの企業は駆逐される。

  ■大きな中央資本のホテルは建物を同じ企画で作り、営業も同じ資材を使えるので原価を下げる事ができる。一方、地元店舗のみのホテルは客室数が少なく効率的な営業はできないので原価が高くなり競争に負ける。

  ■地価が上がり、ますます地元企業は開発ができなくなり、中央資本の企業だけが駅前など条件の良い土地に進出する。

  ■地元民は雇用だけで、利益は中央へ吸い上げられます。

  ■周辺の観光地や行楽地もおなじ現象が起きます。

 

二、高速道路とバイパスを建設しましょう。

  ■チェーン店企業が薄利多売で展開できますが、地元は中心部の客離れで苦しい経営を迫られます。

  ■地元企業が中心部とバイパスに2店舗を出すと、自分の店の客を奪うことになる一方で在庫が倍になり経営を圧迫。さらに、チェーン店の進出でトータルの売り上げでも1店舗分にも満たない事態が発生する。

  ■高速交通網が発達するほど地元の運送企業は中央の大企業に駆逐される。

 

社会資本の整備の2つの事例で見ましたが、これは

チベットでは青海チベット鉄道の開通

日本では新幹線駅の開業で

全く同じ事が起きているのです。

道路網は西蔵公路などの国道整備。

日本でも全く同じです。

いま、あなたの近くの町のバイパスに行ってみてください。

おそらく、写真を撮って並べたなら、全国全て同じ写真が撮れると思います。

新幹線駅だってそうです。駅前の看板を見てください、ビルを見てください。

どの町も同じ看板、同じビルが建っています。

道路沿いや、駅だけではありません。

観光施設だってそうです。

生活のあらゆるところが中央資本になってしまっているのです。

それでも、なお中央資本を導入しようと地方の行政政府は動いているし、住民自身もそれが一番良いと思ってしまっています。

地元資本の企業は応援しないけど、中央資本はあらゆる特典をつけて誘致します。

 

今回の騒乱のさなか人民大会堂でチベット人行政官が 『 中央政府のおかげでチベットは大きな発展を遂げています。 』 と報告をしていましたが、

今日本の地方はことごとくそのチベット行政官達と同じなのです。

時を同じくしてガソリンの暫定税率の問題で暫定税率の維持を求めた市町村長たちは、中国の地方政府と全く同じ考えだということに気付かされました。

 

自分たちの経済、自然、風土、文化を守れない、そんな日本の地方の人々にチベット人を哀れむ資格も、中国政府を批判する権利もないのです。

  

ただ確かに同じ事が起きているのですが、スピードが違うのも事実。チベットでは日本の地方が経験した変化が僅か4年前~昨年で起きたのです。

たぶん、新幹線駅ができてしばらく経った地方都市の経済が、例えば福島、郡山、盛岡とかの駅開業前から今現在へ僅か4年で変化したなら、誰もが中央の資本の支配だと怒ったと思うのですが・・・。

 

中央資本を排除しろとは言わないけど、そして社会資本整備を全否定する気はないけど、地元の資本や資源の保持をきちんと考えていかないと、経済はおろか文化も死んでいくのです。

 

よく時代の流れとか、生活向上とか、中央に頼る人たちは、いろいろ言い訳がましくも自分たちのしていることは正しいと考えているけど、このブログではそういったことを含めて、地方を取巻く諸問題をかなり厳しい見方で書き綴ろうと思っています。

 

ちなみに、中央という言い方をしたけど、東京の一部の地域や一部の人々、大阪、名古屋のような大都市や仙台、京都のような政令指定都市の一部でも同じようなことが起きていると思うので、決して中国政府の言ってるような分裂主義者ではないということを申し添えておきます。(笑)

家鶏野鶩

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厭家鶏、愛野雉

   『 晋中興書 』

家で飼っている鶏よりも外のアヒルやキジのほうを好むこと。

自分の国のものを嫌い、他国のもののほうが良いと思うこと。

 

地方の人々の舶来主義は中央よりも強く、また地方の役人の中央至上主義も同様に強い。

国の地方機関や県ではほとんど問題にするレベルではなくなったけど、市町村の中央至上主義は根強いものがある。とくに合併市町村のほうがその傾向が強い。今後の自治運営の自信がなくて合併したのだから、そうなるのは当然といえば当然で、住民自体の思考が『家鶏野雉』に向いているのだからしょうがないのだが・・・。

中央至上主義については、またそのうち書こうと思うけど、今回は舶来主義と工芸に関して。

 

舶来主義といっても僕はさほど悪いこととは思わないが、好みや機能よりも名前(ブランド)で選ぶ人があまりにも多い。

僕自身も海外の品物で気に入ったものなどは、さすがにshopで買うのは高いので、ebayで物色するけど、ブランド名で商品を検索することはほとんど無い。ハッキリ言ってブランドはあまりよくわからない。仕事柄多少は知っていないとまずいとは思うけど、大きなブランドでデザイナーを外部から雇ってる処は特に興味ない。

探す時は最初は商品の特徴や分類を現す単語を調べて検索する。

わかりやすい例で言うと『 norfolk 』とか『 trachten 』とか、それで多ければ更に細かく素材や特徴の単語『 full belt 』とか『 hunting 』、そうして検索してざっと画像を見て、気に入ったのを見つけると、そのブランドで検索をかける。それでも、欲しいものに出会わなければ、ブランドの商品説明を翻訳サイトで翻訳し、商品特徴の中で気に入っている部分の説明の単語を再び検索。

そうして探し出すと、自分の本当に好みのものを見つけることができる。

ちなみに、外国語の翻訳をする場合に、インターネットの翻訳も便利だけど、↑のように特徴や分類を調べるのは、意外に紙の辞書のほうが使いやすい。紙の辞書とネットの画像検索で、頭の中の漠然とした欲しいもののカタチが出来上がっていく。

 

でも、この作業はとっても大事で面白い。雑誌やTVで人気のブランドを知って、そのままネットで検索するよりも、とても勉強になる。某ファッションショー番組や首都圏のブランド店やデパートのウィンドウを見るよりも、自分の本当に欲しいものを見つけられる。自分が何を欲しかったのかよくわかる。

 

そして、このようにして欲しいものを見つける作業を、できるだけ多くの地方の人、しかもできればものづくりに携わる人が実践して欲しいと思うのです。

 

なぜなら、そうして欲しいもののカタチが出来上がると、ふと思うのです。

『これって、岩手の気候、風土にも合うんじゃないかな』

『岩手でも同じもの、いやそれ以上のものができるんじゃないかな』

『岩手でも根付かせるためには、ここをこうしたほうがいいんじゃないかな』

岩手にいて、岩手で育った自分が、本当に欲しいものを頭の中で組上げていったのですから、当然そうなります。もし、同郷で連絡を取り合わない人たちが上の作業で、かなり似通ったものを欲しいと思ったのなら、それは岩手の文化となりえるものなのではないでしょうか。

 

たぶん、ただ流行りだからといってブランドから商品を選んでしまっては、その商品の持つ機能や意味を理解できないで使うことになる。そういった人たちが多ければ、いくら『地産地消』といいはっても、それも一時の流行で過ぎ去るのみ。

 

ちなみに、上の検索単語でもわかったと思うけど、僕がいま欲しいと思っているのは、イギリスのノーフォークジャケットなのですが、どうも素材の質感と一部のデザインが気に入らない。

岩手にはイギリスで発展したホームスパンがあります。それは岩手の気候風土にあったからで、そこから派生する服飾も岩手根付いて然るべきなのです。

ホームスパンがある岩手の人ですが、ホームスパンを意識しないで、自分の欲しい機能やデザインを突き詰めて考えていったら、ホームスパン素材が相応しいデザインへ集束していったのも面白いと思います。

やはり、極めて岩手的なものだと改めて思うのですが、ぜひ、多くの人に欲しいものをとことん突き詰めるということをやってもらいたいものです。

たぶん、今までお土産とか地場産品としか見ていなかったものが、とたんに誇れるもの、そして身に着けたくなるものになるのではないかと思います。なぜなら、この地で作られたものは、この地の人が考えて生まれてきたのですから、絶対に共感するところがあると思うのです。

 

先日、ものづくりのセミナーがあり、そのときに講師が海外ブランドの看板には必ず地名が書いてあると指摘されて、地域に根ざしているということを話しておりました。

全くそのとおりなのですが、その地域の色であり、その地域の形が、凝結して生まれたのが多くの本来の地域ブランドであると思うのです。僕が大きなブランドほど興味がないといったのは、大きなブランドほど、外部デザイナーを入れて、その地域の色や形の多くが失われてしまったからであり、どこにでもある、どこでもつくれるというものになってしまったからです。

 

とりあえず夏用にホームスパンじゃなく自家製&自分専用を考えてます。

他社製は財布と相談して余裕ができたら、ぜひやりたいね。

 

それと、合う靴(ブーツ)が欲しいけど、岩手には靴職人はいるのだろうか?

いつも、大砂河原の通りの馬具屋さんが気になるが、いつか寄ってみようと思う。

 

岩手に生まれて、岩手に育ち

あなたに感動を与えてくれた色はありませんか?

三陸の海の色。

春の新緑。

秋の紅葉。

あなたの傍に常にあって欲しいとは思いませんか?

あなたが身に着けたい岩手の色はないのですか?

あなたが異郷人に岩手の景色を尋ねられたときに、

その感動の色を伝えられるものを持っていますか?

三陸の海は、このブラウスのように。

岩手の紅葉は、このスカーフのように。

春の新緑は、このショールのように。

 

文化の優劣

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習慣や風俗は常に大国や経済力のある地域の影響を受けますが、だからといって大国の、経済力のある地域の風習が優っていて、小国や地方の習俗が劣っているということではありません。

習慣、風俗、習俗、風習びみょうに言葉の意味が違いますが、面倒なのでひっくるめて文化とします。

 

2000年ほど前の中国の漢帝の一宦官の中行説が匈奴へ帰順しました。

当時漢帝国は北方の騎馬民族である匈奴へ皇帝の娘などを嫁に出す『降嫁』やたくさんの贈り物をして和親を保つ政策でした。

匈奴へ帰順したのは、その『降嫁』で公女(皇帝の娘)の身の回りの世話をさせるための宦官の中行説というひとでした。

 

中行説は不純な動機でしたが、匈奴の文化を守ることを匈奴の王である単于に説き、信任を得て仕えました。

彼の不純な動機というのは、自分を戻ることのできない辺境の匈奴の地へ追いやった漢の朝廷に対する恨みでしたが、普通の策士なら、漢帝国の制度や仕組みを使って匈奴を強国へしようとするのが普通。彼の功績は、匈奴の地域に根ざした伝統的文化こそが、強さの秘訣であり、守るべきものだと説き、漢帝国の産物に溺れはじめた匈奴の生活文化を強く諌めました。

衣食住も基本的に匈奴のものがもっともこの地に於いて優れているとして、絹織物と以前の毛皮の民族衣裳とで茨の路を行かせ、毛皮がいかに優れているかを説き、漢の食物より匈奴の乳製品のほうが力もでるし、美味いということを単于自ら示すことを諭しました。

移動式の住居も極めて匈奴の強さに必要不可欠なものであるとし、それまで、獣を喰らい、定住しない蛮族とされた匈奴の文化を強く誇りを持って弁護しました。

彼は獣を喰らい定住しない蛮族へ追いやった朝廷への恨みで、漢の災いとなることを目指し、匈奴に帰順していたのですが、彼がこういった匈奴の文化を強く弁護したことからも、おそらく、実際に匈奴の文化に触れて、けっして蛮族ではなく優れた文化を持った民族だという事がわかったのではないでしょうか。

彼は、漢の使者が批判した、匈奴の風習である、兄弟が一人の妻を娶ったり、父子兄弟が死ぬと残ったものが未亡人を妻にすることなども弁護しました。

家系の断絶を防ぐだけでなく、厳しい自然環境の中で未亡人も含めて、一族が結束して生活するための当然の風習なのです。もし、未亡人を家から放り出したらどうなるでしょう?残された子供達は?新しい、妻を娶って生まれた子供達と増えた家族を養うだけの遊牧地は?家系種族の断絶を防ぐだけでなく、過剰な一族の増加を防ぎ、生活の糧である遊牧を確実に次代へ残すためのものです。

 

しかし、今では兄弟で一人の妻を娶ったり、未亡人を兄弟や子が引き続き娶ることは、恥ずかしい風習と思っている人々もかなり多くなったようです。

チベットへ行ったときに昔はと前置きされながら、こういった因習は恥ずかしいことのように語っていた人がいたのですが、中国の中央政府の教育のせいなのかと残念に思いました。でも、他民族である僕が、中行説のように、チベット族に帰順するわけでもないのに「それは違います」と言うのもおかしいと思い何も言わなかったのですが・・・。

 

教育や衣食住の基本的な文化は、チベットだけでないのですが、世界各地の地方に於いて、日本も例外ではなく、その地域の固有のものが次々失われていってます。

 

中行説

 動機が不純で事あるごとに漢帝国への抵抗を訴えただけに、評価の分かれる人ですが、僕は今の地方の人々が見習うべき人物の一人と思うのです。

 

愚人千慮

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智者千慮必有一失、愚者千慮必有一得

【 史記 淮陰候列伝 】

歴史上の人物でもっとも尊敬しているのが中国の歴史書『 史記 』を書いた司馬遷。

その『 史記 』中で劉邦に新任され大将軍となった韓信が燕・斉を攻略するにために、捕虜にした趙の李左車という人物に教えを請い、その際に李左車が策を述べる前置きに述べた言葉とされています。

知恵者であっても、千に一つは失策があり、愚者であっても千に一つくらいはよい考えがあるかもしれませんという意味で、ここから李左車が献策し韓信は燕・斉の攻略を成功させたのです。

 

当ブログ【 愚人千慮 】ではそんな李左車のような"一得"になるようなものはありません。

単なる、管理人の愚痴です。

日頃、思っている「ちょっとおかしいぞ?」とか「なんでみんな気が付かないの?」とか「どうしてそうなの?」とかを、故事成語を使ったりカッコつけながら、ただただ長文で書き綴っていきます。でも、愚痴のような千慮の文から一得が得られないとは断言できません。

 

かなりお暇な時にでも、お読み下さい。

 

ちなみに。【 史記 】では『智者・愚者』となっていますが、【 晏氏春秋 】では『聖人・愚人』で同じ意味の言葉があります。

愚者はグッシャっと潰れそうなので『愚人』にしました。

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